'02.4.27
一般的にはあまり知られていないが、レイモンド・チャンドラーの作品の中に『待っている』という短編小説がある。
これは長編を創る前に書いただろうと思われる作品(注1)で、主人公はフィリップ・マーロウではなく、トニー・リゼックという探偵。
しかも、三人称で書かれてある。
しかしこれを読んでみると、フィリップ・マーロウのモデルがトニー・リゼックであり、これが『マーロウシリーズ』の誕生する元となったように思える。
トニーが任せられたホテルでは、独りで最上階(14階)の部屋に宿泊し、一度も外に出なかった引き籠りの女性がいた。
五日目になって、彼女は清算を済ませ、14階のバルコニーから飛び降りた。
今、トニーの前には、似たような女性がいる。
14階に部屋をとっているイヴ・クレッシーだ。
イヴは夜になるとラジオ室に入り込み、音楽に浸りながら、トニーの仕事の邪魔をするのだった。
彼女は、刑務所に入っている彼を待っていた。
しかし、彼は出所しているものの、とある組織から追われ、戻るに戻れない。
そのせいで彼女も見張られている状況で、トニーは自分の身に危険が及ぶのを承知で、彼とイヴを引き合わせようとする。
クールで理屈っぽいトニーの心が動いたのは、以前に宿泊した女性の悲惨さを見たからなのか、単に彼女から心を奪われたのかはわからない。
ただ、しかし、それは叶わなかった。
男がまた同じ過ち(刑務所に逆戻り)を犯したからだ。
ラストは、彼女がそのことも知らずに眠りこけている前で、トニーがため息をつくシーンで終わるのだが『男は強くなければいけない 優しくなければ生きている資格がない』と言ったマーロウ'sマインドはここに完成している、と私は考える。
チャンドラーは待つことのストイックさを知っている。
待つこともハードボイルドである、と私たちに教えているのだ。