Self control / Laura Branigan


Lauraは高校時代にミュージカルの主役を演じたことがきっかけでマンハッタンに移り住み、演劇学校に通い始める。祖母はオペラ歌手、母はラジオ局専属の歌手であった。

当初は Meadowというバンドでボーカルを担当し、1973年にはアルバム【The Friend Ship】を発表している。1970年代後半、Leonard Cohenのヨーロッパツアーにバックボーカルの一員として参加したことを機に79年にアトランティック・レコードと契約。82年にアルバム【Branigan】でデビュー。
同アルバムからシングルカットされた“Gloria”やセカンドアルバムからの“Solitaire”が大ヒットする。

“Self control”は彼女の最大のヒット作となる84年の【Self control】からの代表作。このアルバムは西ドイツ、アルゼンチンなど多くの国で第1位に輝く。
ただ“Self control”のPVはその過激な内容からアメリカのMTVで放送禁止とされた(のちに解禁)。


Lauraは93年にアルバムを発表したのち、癌と闘う夫の看病に時間を費やすため活動を減らし、96年に夫が他界したあとは数年間活動を休止した。
ショーを時々開催するなどして徐々に活動を広げ、2001年からはレコーディングにも取り組み始めたが、同年6月にニューヨーク郊外の自宅で藤をつる作業中にハシゴから転落し両大腿骨を骨折し、本格的な復帰が遅れる。

翌2002年に音楽活動を再開したが、2004年8月26日自宅にて脳動脈瘤により死去。47歳であった。


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【Self control】

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