8月13日(日)東1 K-35a
9/11 座頭市
邦画・時代劇と思って敬遠しているアナタ!見て間違いはないぞ!!
殺陣は格好良いし、音楽も格好良い。
密度の濃い内容がテンポ良く進むので、
時代劇はちょっと…という人でも楽しめると思う。
今までの北野映画ファンが「らしさ」を求めると、肩透かしをくらうかもしれないが
合間に笑えるシーンがあったり、格好良い殺陣もありで、
エンターテイメント性がたっぷり詰まっているのだ。

ただ、変にもったいつけたりしない所にたけしらしさは十分感じ取る事もできる。
殺陣シーンで時間をたっぷり取って見せ場に、なんて王道パターンとは違い
そこは単純に命の取り合い。居合切りの名手「市」らしい殺陣である。
ライバルとして紹介されていた浅野忠信との決闘もあっさりしたものである。
しかし、それが逆に本物らしくて格好良いのだ。

また幕間のシーンでも、軽快なリズムの音楽が流れ、飽きさせない。
例えば雨が水溜りに落ちる音と、音楽のリズムとをぴったり重ねるなどで
観客の目はそこにも釘付けにされるのだ。
事前の紹介で、盛んにタップダンスを取り入れていることが強調されていたので
もしや、殺陣シーンで「踊るマハラジャ」よろしく踊るのか?(;´Д`)
といった心配もしていたのだが、これは安心してほしい。
皆が踊るのは最後のお祭りシーンだけだったw

この映画が映画史的にどのように位置付けされるかはわからないが
この作品はこれで一つの完成形であると断言できる。
規模の大小・エピソードの詰め込み、どれをとっても過不足無い。


8/29 夏コミ
コミケが精も根も尽き果てるのはいつものことだが
今年は雨にぶち当たったこともあって最悪だった(ToT)
夏場とはいえ、雨に濡れながら1ヶ所にじーっと5時間も待っていると
凍えるほどに寒いのだ!
しかも、今回は待ち時間の間だけではなく1日中降り続いていたので
紙メディアを買い漁る身としては甚だ心許なかった。
おかげで、会場を歩き回る気力もいつもより減少。
買った本の量もだいぶ減ってしまった。

また、当然の如く屋外のコスプレ広場も閉鎖。
TOP絵用のネタに撮りまくってこようと思っていたのがすべて台無しである。
(ちなみに現在のTOP絵は3日目の待ち列)

愚痴は程々に、今回のレポートを。
ネタの流行としては、「ガドガード」と「宇宙のステルヴィア」が
大きく幅をきかせていたように思う。
その中、本家「ガドガード」な「いずな屋」に
全然列が出来ていなかったのは不思議だったが・・・。
また、雨で気力を失っていたのは自分だけでなかったようで
大手サークルの列もいつもほどの時間がかからなかった。
まぁ、3日目は明らかに大手サークルを集めすぎだったからだけど(^^;

次回コミケにはぜひ出店する側として参加しようと思い、申込書も買ってきたのだが
内容確認しようと開いたのが22日。申込締切が20日。
まさか夏コミ後3日しか猶予がなかったとは思わなかった(ToT)


7/31 プロ野球
始めに断っておくと、私は野球をすることは好きだ。
しかし、プロ野球中継は大嫌いである。
あのダラダラとした展開がどうしても許せない。
高校野球で培ったさわやかさはどこに行ってしまったのだろう?
かといって高校選抜を観ていても、テンポは良いのだが
技術力の無さはいかんともしがたい。

そんなプロ野球だったのだが、最近は面白いと感じるようになった。
阪神優勝の気運が高まり、お祭り騒ぎな気分もあるし
草野球よろしくな点取りゲームもたくさんある。
また、巨人中心に見がちな自分は、実は巨人ファンだったのでは?
といった気恥ずかしさもあったのだが
最近の巨人の逆転負けを見ると楽しくて仕方が無いww

そんな訳で、もちろん皮肉も込めてだが、最近のプロ野球は面白いのである。


6/7 MATRIX RELOADED
待ちに待ったマトリックスの続編である。
これでもかというぐらいのアクションに次ぐアクション!
ブレットタイムも健在で格好良い事この上なしである。
しかし、残念な事に前作に比べると満足度としては7割くらいでしかない。

理由としてはいくつかあるのだが、
まず第一に、メリハリの無さ。
アクションは素晴らしいのだが、ほぼ前編をアクションが占めており
どうしても食傷気味になってしまうのだ。

第2点に、わかりづらさ。
今回はマトリックスに関する謎がいくつか明かされたり
哲学的な話が出てくるのだが、これが少々ややこしい。
しかも構成が、未来と現在、現実世界とマトリックス世界、
とたびたび場面転換が行われ、アクションに夢中になっていると
脳がそれらについていけなくなってしまう。
また、それらの小難しい話がすべて語りで済まされているのだ。
これだけ視覚効果を売りにしている作品がそんなことでは少々いただけない。

第3点は、功夫の安っぽさ。
ただ前もって言っておくが、間違いなくアクションシーンのレベルは上がっている。
見せ場のバリエーションも増え、動きの速さも上がっているのだが
初動の溜めが無くなってしまっており、どうも嘘っぽく見えてしまう。
パワーアップしていることは確かなので、これは好みの問題かもしれないが
前作の方がちゃちかったと言われても、私の好みであった。

とはいえ、間違いなく今作の見せ場はカーチェイスのシーンである。
心底ハラハラドキドキし、手に汗を握る事だろう。
モーフィアスがポン刀握り締め立ち回る姿はとてつもなく格好良い!
ラストの「えぇ〜!?(;´Д`)」となってしまう中途半端な終わり方を
差し引いても、このシーンを見るためだけにお金を払う価値はある。


6/1 8 mile(BBSより抜粋)
見てきましたよ〜♪EMINEMの半自伝的映画!
しょっぱい映画でした……。歌のイメージで行くと、かなり凹んで帰ってくることになります。
悪くは無いんだけど、痛快なサクセスストーリーではないし
これからってトコで終わっちゃうのでイマイチ消化不良な感じ。
でも、1度でもクリエーターみたいなものを目指した事がある人には共感できる部分も多いのでは、とも思います。
俺もついついのめり込んで見入ってしまいました。

夢を理解してくれて応援してくれる友達ってすごく大事だな、とも思う一方で
所詮は他人。どんないい顔してきても、友達の自分に対する想いなんて結局は他人事なんだなぁ、とか
友達って信頼しかけた時が1番裏切られやすいんだよなぁ、とか思い知らされます。
人間は結局自分一人。孤独な存在なんだ、と思ってしまいますね。
古谷実「グリーンヒル」のラスト、「立派な大人になりたいなぁ」な気持ちが
今更ながら良く理解できてしまいました。

EMINEMのファン以外では、調子乗って自分の足元見えなくなってる奴らに見て欲しい映画です。
あと、青臭い反抗心を取り戻したい方。
それ以外の方には、TVやビデオを待つことを勧めたい映画でした(^^;


5/30 雑誌を買うポイント
今回はひとつマニアックな話を。

私が雑誌を買う時に最も気をつけているのは
「カラー絵」である。
ひどく当たり前の事を言っているように聞こえるかもしれないが
それさえ満足できれば、他は束ねる紐で潰れていても
汚れていたりしていても全く構わないのだ。
雑誌など、どれを選んでも一緒ではないか?とお思いだろうが
皆さんご承知のように、雑誌はとても安い。
従って、印刷もかなりいい加減なのである。

気をつけるのは大きく分けて「位置ズレ」「色ズレ」「色ムラ」の3点。
皆さんも本屋などで、同じ雑誌を2冊手に取って比べてみてほしい。
まず、「位置ズレ」について。
例えば、見開き側の絵の切れる部分をよく見てみると
どこまで残っているかが随分違うであろう。
これは左右が残れば、その分上下が下に沈む傾向がある。

次に「色ズレ」について。
まれに絵などの縁からはみ出て、赤や青の線が出ることがある。
絵にとって1番被害が少ないのは黄色の線だが
これは完全なる印刷ミスで、稀とはいえ最も痛い。

「色ムラ」もこれの類似問題だが
よ〜く目を凝らして見ると、色の濃淡が微妙に違うのである。
これを選別するのはとても難しい。
濃淡の差異が微妙な上、作者の意図にどちらがより近いのかは
原画を知らない我らには判断しかねるからだ。

以上ここまでくると、とてもディープな世界に沈むことになってしまうのだが
当然の権利として、消費者には選択の自由がある。
満足できる一品を選び、ひいては印刷技術の向上を促す目を養おう(笑)


4/30 褒めるということ
他人を貶すことは簡単だ。逆に褒めるのは難しい。
私達は陰口をたたいたり、悪口を言う時には、とても詳細に喋っているが
褒める時には、途端に言葉が陳腐でありふれたものになってしまう。
不快に感じている時には、動機は何であれ
それだけ相手に対して真剣に向き合っているからであろう。

では、なぜ我々は褒めることが苦手なのだろう?
それは、私達が他人に関して無関心であるからだろうか。
いや、違う。
根本的な部分では、誰でも自分の事が1番であることに疑いないが
それだけに周囲からの目はとても気になっている。

私が考えるに、その原因は褒められ慣れていないからだと思う。
現に私自身が幼い頃から、親からまともに褒められたことなど無いし、
世間を見渡してみても、批判・評論などはたくさんあるが
素直に相手を褒めた物のなんと少ないことか。
ちょっと考えてみたところで、思いつくのは商業主義の絡んだものばかり。
だから私達は褒めのボキャブラリーが絶対的に不足しているのだ。
身に付いたものが少ないから、出る言葉も自然と少なくなる。
それはちょっと悲しいことだ。
だからこそ、まあ、ちょっとでも世界が幸せになれるように
自分の身の回り(ここ)から、相手を褒める事を勧めてみることにした。


4/18 選挙へ行こう
先日行われた選挙には皆さん行かれただろうか?
政治不信が叫ばれて久しい現在、投票率は下がる一方である。
不景気だ、アメリカの言いなりだ、と不満を漏らしつつも
反対票を投じないのはどうしてだろう。
無言で応えれば、それは即ちYESの証となってしまうというのに。

信用に足る候補者がいない?どうせ裏切られるのがオチだ?
なら尚更、投票に行くべきだ。
我々の一票の重みを思い知らせてやらなければいけない。
政治家は誰あっての政治家であるのかを思い出させてやろう。
大体、一党独裁が続けばそれが制度崩壊を起こすのは歴史が証明している。
政治家の首が誰に変わっても同じという方には、これをもって答えとならないか。
いい加減な事をする者はすぐに切られる。例えそれが誰であっても。
こういった緊張感を持って政治家は動かなければならなくさせれば良いのだ。

「政党政治」今やこれはバックボーン団体に対する利権を確保するための隠れ蓑に他ならない。
真に理念を持った者には、後ろ盾が無くても民衆がついてくる。
こんな時代に作り変えてやろうではないか。
それが出来るのは、我々の一票の力なのだ。


4/9 猫舌
つい先日の、ラーメンを食べた後の会話

「美味かったけど、すごく熱かったよなぁ」
「そうか?」
「え〜、だって口の中の皮がベロベロになっちゃったよ」
「え・・・?」

この時まで自分が猫舌である事に気が付かなかった。
熱いラーメンを食べた後は、口の中が火傷したり
水脹れができたりするのが普通だった。
だから、最近のラーメンは熱さで味をごまかそうとしてる店が
増えててけしからん!ぐらいのことを思っていた。
それが、まさか自分の猫舌体質のせいだったなんて……


4/3 主張
「日本人は控えめな言い方をする」とよく言われる。
オブラートに包んだような物言い。
ああ、なんて美しい日本語の伝統美!
確かにこれは、人と人とがコミュニケーションをとるためには
すばらしく高度な技術といえるであろう。

だがしかし、ディスカッションの場においては全くの逆効果である。
「あなたの言いたい事はわかるが……」「確かにそうだと思うが、私は……と思う」
本当に相手を理解しているのか?認めているのか?
否!これらは結局単なる前置詞にすぎず
相手の考えなど全く考慮していない自分の意見を続けるのがほとんどである。

では、何のために以上のような枕詞を挿むのか?
…それは遠慮であろう。
相手を傷つけたくない。嫌われたくない。
そんな甘ったれた事で、相手に自分の意見を通せると思っているのか。
誤解を恐れず、堂々と自分の考えをハッキリ主張すべきだ!
その上で相手の反論もしっかりと聞き、自分の考えと照らし合わせて吟味しなければならない。
また、その能力を持たないものには議論をする資格は無い。

表層だけの撫であいでは、決して中身は混ざらない。
そして、それを掻き混ぜなければ
それは単なる1と1であって、決して2にはなりえないのだ。

私は幸いにして、文字での交流の場を持つ事ができた。
現実よりもかなり冷静に判断することができるであろう。
だから、私はここでは敢えて誤解を恐れず率直な意見を述べる。
一部の方には不快な主張もあるかもしれない。
しかし、それはその時点での私の偽らざる考えなのである。
不満や反対意見があるのならば、それをハッキリ文字で表して欲しい。
なぜなら私も決して完璧な人間ではないからだ。
安易に考えを変える事はないかもしれないが
それを読んで、考えをより昇華させていきたいと思う。
そして、願わくば、あなた方にも考えて頂きたい。

そう、私はあなたを知りたいのだ。