'02.5.12

Oignon Hacher

それは野球のボールほどの大きさだった。重さも同等のものだろう。
茶色の薄皮で包まれていて、少し光沢があった。
いや、薄皮と言ってはいけないのかもしれない。口に入れて食べるには硬すぎるのだ。
人が想像する薄いというのは、オブラートのような、赤ちゃんの皮膚のような、とてもデリケートで壊れやすいものである。
しかし、それは違った。物にたとえるなら、茶色がかった不透明なベージュ色のセロハンだった。歯で噛み切ろうとしても、とても食べられる代物ではない。ただ、セロハンよりはずっと植物的であり、土の中に放置すれば充分、有機成分が混ざり合って地球の源となるだろう、そんな皮だった。

私はその皮をむく必要があった。
指先をつかって、あたかも猿がラッキョウをむくような姿勢で、できないこともなかった。しかし、私は戸棚のケースの中から、ペティナイフを取り出した。

それの頭と言われる部分を切り落とす。独特の刺激臭が鼻孔を襲った。が、さほど苦にはならなかった。

ペティナイフの柄にちかい部分をその切り口にあてがい、縦方向に向かって薄皮を剥いでいく。次第に、白い、つやのある中身が姿を現した。
真珠色にも似た、真っ白とは言い難い、オフホワイトの様相だった。みずみずしいと言ってもいいだろう。さわやかな若草色の模様も見られ、鼻にツーンとくるその匂いとは裏腹に、初夏の草原で転がる太った少女のようだった。

私は無造作にその少女を縦に切って、二つに割った。
二度目の刺激臭が襲う。ただ、そのときの私には、それに対処するだけの免疫ができていた。

ハーフにしたそれを、私は今度は縦目にスライスしていった。
根の部分が残っているので、そのスライスは完全に切られたものではなく、尻の部分で繋がっている状態だ。
ペティナイフの先に近いところで、軽やかにスライスを続ける。薄く、限りなく薄く。
イメージとしては、紙だった。
もっとも繊維の関係から、それほどの薄さにするには無理もあったが。

私はスライスを終えると、今度は頭の部分から根に向かって、横目にナイフを入れていった。和食の達人がヒラメの薄造りを為すときのように、慎重に、優しく。
もちろん、これも根がついているために、分断はされない。さっきのスライスで不安定になっているため、スマートにはいかない。が、まあ、これもなんとかこなした。

もう一つ手をくわえる必要があるのは、最後にそれを横向きにさせ、スライスするのと同じく、完全に分断させる作業だった。
私は上から小気味よくナイフを入れてやった。かき氷に見るような、細やかなそれがまな板全体に広がった。
私は同じ作業を六回やった。計三個のそれが、まな板を盛ることになった。

ペティナイフの役目はそれで終わりだった。
私は丁寧に洗った。洗剤をつかい、次に必用なときはその匂いがしないように。

そういえば昔、ペティという女がいた。身長が150センチにも満たない猫背の女だった。彼女はカウンターのスツールに腰掛けて足をぶらぶらさせ、めぼしい鴨――金持ちの男を探すために、あのリスのような丸い瞳をキョロキョロさせて店内を見回していた。鴨ではない男が近づけば、鋭く刃向かった。小悪魔風というのでもなく、まさにペティナイフのような女だった。
まあ、そんな話はさておいて、私はそのナイフをケースに戻した。

私は今度は、牛刀を取り出した。刃渡り45センチもあるようなやつだ。扱うのにも苦労しそうなその"牛"の刃を、私はまな板に広がっているそれの上に立てた。左手の平を、先に近い方の背にあてがい、そう、シーソーが右と左に揺れるように、小刻みに上下させる。まな板に広がるそれを中央に集めては、何度もそれ繰り返した。

免疫ができているはずの私なのに、目頭が熱くなってきた。
目をしばたかせるというより、そう、涙――涙目だった。
最愛の人を失ったときの涙とは違う。子供の頃、お気に入りのプロ野球カードを学校の机の引出しに入れておいて、放課後になって、それが失くなっていることに気づいた。涙が出るほど悔しかった。先生に、盗まれたことを告げた。でも、返ってきた言葉は「ほんとうに持ってたの?」だった。このときの私は泣いた。盗まれた悔しさから出る涙ではなかった。ただ、なぜ泣いたのかも、今になっては思い出せない。
まあ、しかし、今の涙も、そんな涙とは違う。鼻にツーンとくるような、面と向かっていられないような涙だ。

私は出来上がりを少し手にとり、じっと見やった。それは、すりゴマの粒より小さかった。メリケン粉や片栗粉とはいかないまでも、それはもう細かかったのだ。

私の仕事はこれで終わりだった。
出来上がりをボールに移す。300グラムほどの量だった。

「玉ねぎのみじん切り、こんなに作っちゃって・・・。どうしよっかな」

以上

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