'02.5.22
「ぼくは店をあけたばかりのバーが好きなんだ。店の中の空気がまだきれいで、冷たくて、何もかもぴかぴかに光っていて、バーテンが鏡に向かって、ネクタイがまがっていないか、髪が乱れていないかを確かめている。酒のびんがきれいにならび、グラスが美しく光って、客を待っているバーテンがその晩の最初の一杯をふって、きれいなマット(コースター)の上におき、折りたたんだ小さなナプキンをそえる。それをゆっくり味わう。静かなバーでの最初の一杯――こんなすばらしいものはないぜ」
これはチャンドラーが【長いお別れ】で、テリー・レノックスに言わせた名セリフである。
テリーという男は、白髪で(老人ではない)顔にきずのある、さえない男だ。
彼はダンサーズ(男女同伴で行ける高級クラブのような店)の前に駐めてあったロールスロイスの中で酔いつぶれていた。
そのせいで女(別居中の妻)にまで見捨てられ、トラ箱行き寸前だった。
フィリップ・マーロウは、ただ放っとけないという理由だけで、彼を介抱し、家にまで連れて帰った。
マーロウのとった行動――金だけで動くわけではないという人間性が、文頭から見てとられるわけだ。
テリー・レノックス=顔が醜い、呑んだくれ、アメリカ生まれだがイギリスに住んでいたことがある、イギリス的礼儀をわきまえている。そして何より、マーロウが惹かれるものを持っている。
これはまさしくチャンドラーが、自分自身をテリーに置き換えて書いているのでは、と考える。
自分をモデルにした主人公で小説を書く作家は少ないだろう。
しかし、作品内で"ちょい役"として自分を登場させることは、必ずと言ってよいほどよくやる。
その点、チャンドラーはところどころで、"自分観"を持っている人物を登場させているようだ。
テリー・レノックスもそうだが、この【長いお別れ】に登場するロジャー・ウエイドという流行作家もまたその中の一人だ。
ロジャーは、自宅で行われたカクテルパーティーに顔を出す前に「向こうへ行って、金がたまると友だちのような顔をするお上品な連中の"つら"を拝見しようじゃないか」と口にする。もちろん、自分が希望して開催したものではなく、外野が勝手に作り上げたパーティーでの話だ。
そして、その連中を皮肉って「どこか変わっているところがあるはずだ。そうじゃなかったら、この世でなんの役に立つんだ。人間だけを調べたら、安ウィスキーに酔っぱらっているトラック運転手とおんなじなんだ。もっとくだらないかもしれない」とも言っている。
これはまさに、売れてきて絶好調だったときのチャンドラーの胸中に相違ない。
レイモンド・チャンドラーには酒に溺れ、人間嫌いになっていた時期があった。
現在、チャンドラーに会ったことのある人が、彼のことをわかったようにして語る記述も多くあるが、はたしてチャンドラーが、その人たちに本音で話していたかどうかだ。
チャンドラーは物事をはっきりと口に出さない性分だった。
周囲の人間すべてが、"売れると寄って来る連中"だったとしたら、心を開くはずはないのだ。
彼の胸中は、彼しか知り得ない。