'03.3.4

さらば生島治郎

先日、作家の生島治郎氏が肺ガンのため他界された。
往年70才だった。

今日、私がこのコラムで彼のことを取り上げたのは、何を隠そう、私が小説を書くにあたって、もっとも影響を受けた日本の作家が彼だからである。
チャンドラーのすばらしさを知ったのも、生島氏の著述を読んでからだ。

生島治郎は本名、小泉太郎。
1933年(昭和13年)1月25日上海生まれ、幼年期は虹口界隈で過ごす。
早大文学部を経て、早川書房に入社。
1967年『追いつめる』で直木賞を受賞した。

私が彼を知ったのは『傷痕の街』を読んでから。

『運河は濁っていた。いつも、濁っているのだ。この河が、澄み切った水をたたえているのはいつ頃のことか。この底にどんなものが沈んでいるのか、誰も知らない。ただ、人々はこの運河に船を浮かべ、荷物を運び、塵芥を投げこみ、時には水を汲みあげて顔を洗う。そして、ふと気づいたように、濁った水に顔をしかめるのだ』

これはその出だしである。
文頭から引き込まれる独特の語り口と、作中に表われる主人公の特色は、まさに和製チャンドラーと私は呼びたい。

原寮氏や大沢在昌氏など、チャンドラーに影響された作家はたぶん多いだろう。
ただ、和製マーロウを描けたのはある意味、彼ぐらいではなかっただろうか。

我が永遠の師、生島治郎。安らかに…

←Back

Back Number

Bar−Chandlerへ