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電話の声は、およそ午前零時に聞かれるものではなかった。
9時から17時までのあいだ、どこかの会社に電話を入れ、商談の一つでも持ち掛けたくなるような雰囲気があった。
女は「はい、こちら有限会社ケーリッヒです」と、甲高い声で言ってきた。
間をおいて、私は口を開いた。
「人を捜してほしいんです。そして見つけたら、その人を殺してほしい」
「どなたかのご紹介ですか?」
業務的な、落ち着いた口調だった。
「中野のシャールック探偵社です」
「おいくら、用意できます?」
「百万円なら、出せます」
私は言った。
「では、お客様の住所、氏名、生年月日、ご職業をお願いできますか。いちおう、身元確認をさせていただくという形になります」
「名前は橋上元彦。川に架かるはしに、うえ。元年のがん、彦根のひこです。住所が神奈川県大和市北林間2-2-8。昭和55年2月3日生まれ。学生です」
私は先日、橋上から拝借した免許証を見ながら、こう答えた。
「学校を教えていただけます?」
「渋谷デザイナーズ学園、デザイン科です」
「こちらからの連絡先をお願いします。明日の同じ時間に、電話を差し上げることになりますので」
「明日はバイトなんです。六本木のヴォーグというクラブなんですけど、そちらでもいいですか?」
「明日のこの時間に、そちらへいらっしゃいますか?」
「はい。1時までなら」
「じゃあ、お願いします」
私は『ヴォーグ』の電話番号をすらすらと言った。
「ありがとうございます。それでは翌日、お電話差し上げます」
「ちょっと待ってください。そちらの所在地を教えてもらえませんか」
慌てて言ったが、電話はガチャリと切られた。
翌日になって、『ヴォーグ』に電話があったのは、午前12時を少し回ったころだった。
橋上が本物の学生で、怪しいところがないと確認できたのだろう。
先方は、100万円の現金を持参して、午前1時までに北新宿の柏木西公園へ来い、と言ってきた。
私は返答をもらうと急いで店を出て、タクシーをつかって北新宿へ向かった。
北新宿――もっとも、このあたりは通称"お滝橋"と呼ばれ、西新宿に見る巨大ビルや、歌舞伎町に密集するネオン街は存在しない。
中層マンションがメインの住宅街で、深夜から早朝にかけての賑やかな淀橋市場を除けば、この時間の人通りはほとんど見られない。
滑り込むようにして停まったタクシーの中から、夜のお勤めを終えたホステスがマンションの中へと消えて行く姿をときたま見るだけだ。
私は午前1時ぴったしに、柏木西公園に着いた。
コートの襟を立て、公園のほぼ中央、ブランコの横に立った。
公園を照らす明かりは、みすぼらしい外灯が一つあるだけだった。
公園の周囲は冬でも葉を落とさない針葉樹で覆われていて、路上から私は見えても、私の方から路上を歩く人物は窺えない。
15分ほど待っただろうか。
公園入口の路上に、一台の車が停まった。
タクシーではなかった。
黒っぽい、大きめのセダンだった。
車はライトを消した。
私はそこから降りてくる人物をじっと待った。
が、人の降りてくる気配はない。
突然、車は一つクラクションを鳴らし、パッシングを二回した。
ホーンの音で、それがドイツ車だということがわかった。
ベンツ、またはBMWであろう。
連中は、車のところまで来いと、私に合図しているのだ。
私は腰のベルトのところに隠していた特殊警棒を、相手から見られないように左手で持った。
私はゆっくりと車のそばまで歩み寄った。
川崎ナンバーの600ベンツ。
色は、黒か濃紺のようだった。
辺りが暗いために、スモークフィルムで覆われた車内でも、運転席と助手席とで、二つの頭が窺える。
私は注意深く、助手席側の横に立った。
するするっとウィンドウが下がる。
「橋上か?」
私に話しかけてきた助手席の男は、上下スポーツウェアを着た、二十代後半の男だった。
運転席にいる男はもっと若く――もしかしたら、十代かもしれない。
二人とも、チンピラ以外の職業は思いつかない風貌だった。
「そうさ」
私はにやりと笑って、そう答えた。
「おまえ、本当に学生なんか?」
関西弁が混じっていた。
ただ、本当に関西人なのかは判別できない。
「代理で来たんだ。柏木西公園なんて言われても、本人は知らないらしくてね」
「じゃあ、今回の話は無しやな。本人やないと、取引できんのや」
「金は持ってきてるんだぜ」
「おまえ、なめとんのか?わしらをどこのもんと思っとるんや」
「関西かい?」
私が言うと、勢いよく扉が開いた。
私は、地面につこうとした男の右足を思いっきり蹴りつけた。
男がつんのめる形になった。
すかさず、警棒で左の脛を打ち付けた。
手応えからして、骨が砕けたはず。
私は開け放たれたドアから体を滑らせ、助手席の男の襟首をつかんだ。
男はどこかに、電話しようとしていた。
私は携帯電話を取り上げ、路上に放り投げた。
「トランクを開けろ!」
私は警棒で男の喉を突いた。
男は顔を歪めて従った。
私は路上で足を引き摺っている男を抱え、トランクの中に押し込め、蓋を閉じた。
私は再度助手席のところに戻り、運転手の男の喉仏に警棒を突きつけた。
「おたくは、どういうシステムなんだい?」
「シ、シ、システムって、なんスか?」
男は顔を引きつらせている。
「金をもらって人を殺すって、どういうことか訊いてるんだよ」
私は言いながら、警棒を更に強く突きつけた。
「知らないっスよ。殺しなんて話、聞いてないっス」
「じゃあ、ここへは何しに来た?金だけ奪って、おさらばする気だったのか?」
「ち、ち、ちがいますよ。ちゃんと、ブツは持ってきてんですから?」
「ブツだと?」
「ええ。S(エス)の欲しい学坊がいるっていうから」
「Sだと?覚醒剤(シャブ)か?」
「違うんスか?俺らはそう聞いて、やって来たんスけど」
「おまえら、有限会社ケーリッヒのものか?」
「なんスか?それ」
「おまえらいったい、何者だ?」
「義友会の許しを得て、稼がしてもらってるんスよ、俺ら。あっ、もしかしてお兄さん、サツ…」
私はパンツのポケットから、偽の警察手帳を取り出した。
「よく、わかったな」
私はにやりと笑った。
「俺らをハメたんスね」
「自分は本庁捜査一課のもんだ。ヤクなんかに興味はない。俺が追っているのは、金を貰って殺しをやるという連中だ」
「俺らは知りませんよ、そんなの」
「とぼけるな!」
「本当ですよ」
「じゃあ、なぜ、ここへ来た?」
「橋上って学生がSを欲しがってるって聞いたからっスよ」
「誰に?」
「それは言えません?」
「おまえ、その顔からして、前歴あるだろう?言えないんだったら、このまま覚醒剤所持で、逮捕してやろうか?当然、ム所行きだな。何年、クサイ飯を食うことになるんだろ…」
「言えば、勘弁してくれるんスか?」
「返答次第だな」
男はしばし考えていた。
「元、義友会の組員だった人っスよ。今は堅気になって、ビジネスを展開してる人で」
「ビジネスを展開だと?おまえらがやっていることは、シャブの売買なんだぞ。ふざけるな」
私は警棒で、男の胸を一突きした。
男が息を漏らす。
「で、その男の名は?」
「知りません」
「嘘つくな!」
「本当です。新宿で声をかけられて、知り合っただけなんスから」
「どんな風に?」
「ヤクをさばく仕事をやんないかって。いい金になるからって。バックには義友会がいるから、サツにさえ気ぃつければ安全だからって」
「じゃあ、そのヤクはどこから手に入れるんだ?」
「いきなり、その人から俺らの携帯に電話があるんスよ。新宿駅中央口の何番かのコインロッカーにブツを入れてあるから、いくらいくらでさばけって。場所と時間、その人物も指定してくるんです。その七割を俺らが貰えるってしくみで」
「じゃあ、三割はどこに?」
「取引の翌日にまた、電話があります。どこどこに振り込めって」
「振り込むときに、名前を書くだろ?なんて書くんだ?」
「その都度、違うんですよ。前は『ジョニー・白木』、その前が『ヤワラ・谷』とか言いましたね。それに、ほとんどが外資系の銀行です」
「日本人なんだろ?」
「あんなにうまい日本語を話す外人は見たことないっスから」
「どこの誰かもわかんないんだったら、得た金をそのまま懐に入れても、バレないんじゃないのかい?」
「義友会がバックにいるんスよ。そんなことしたら、商売できなくなるだけじゃない。命だってないっスよ」
「そうだろうな。まあ、殺されない程度に稼ぐんだな」
私はそう言って、車のドアを閉めた。
この男から聞き得ることはこの程度だろう。
私は連中をそのままにして、タクシーを拾うため、お滝橋通り方面に向かってゆっくりと歩いて行った。