私は大晦日を前にして、もしかして紗也香は死んでいるのでは、と考えていた。
営利目的ではなく、これが単なる私への警告なのだとしたら、生かして監禁するほどお人好しな犯人ではない。
しかも、顔を見られている紗也香を、そのままにしておくはずはないのだ。

私はここ二日、『ヴォーグ』へは行っていなかった。
手がかりという手がかりもつかめず、ただ部屋の中で、ぼんやりとした一日を過ごしていた。

ぼんやりとしている、と言っているのは私だけなのかもしれない。
『ヴォーグ』から拝借してきたアーリータイムズをアイスも入れないグラスに注ぎ、喉から流し込むようにして飲る。
他には何も口にせず、ただひたすら酒を飲んでいる。
はたから見れば、昼間っから酒浸りになっている、アル中男なのだ。

私は玄関のドアが開いたのを、ぼんやりとした眼で見つめていた。
一人の男が立っているようだった。
そのとき、カギをし忘れていたことに気づいた。

「よう、丸岡。店に行ったら、休んでるって聞いたもんでな」

立っていたのは大野警部だった。
彼は靴を脱ぎ、私の横まで歩いて来た。
私は何も答えず、大野の顔を見上げた。

「名探偵が台無しだな。冷静沈着、どんな局面であろうと無駄口だけは絶やさない丸岡くんも、ただのパパというわけだ」

「こんな状況下で、僕に何ができる?高岡という、架空かもしれない人物を当てもなく捜し、何度も絶望感に苛まれて。それじゃあ、捜査は警察に任せ、すました顔をしてバーテンでもやってろって言うんですか?」

「まあ、そんなに興奮するな。誘拐されたと決ったわけじゃない」

「誘拐じゃないって?娘が何者から連れ去られ、一週間近くも音沙汰がないのに、それを誘拐じゃないだと?」

「身代金の要求があったわけじゃない。連れ去られたと言っても『ただかわいいから』という理由だけで、誰か、心の優しい人間が育てているのかもしれない」

私は大きな声を出して笑った。
「大野警部。紗也香は今年、十歳なんだ。自分で家へも電話はできる。もし、優しい人間がそばにいるんだったら、自分の安否を知らせる電話ぐらいはするはずだろ。警部の言っていることは、僕への慰めでしかない」

「酒を飲んで解決することか?」

「僕がやれることはすべてやった。すべてね」
私は言って、グラスの酒を一気に飲み干した。
胸の焼けるような感触に、たまらず咳き込んだ。

「山中真二っていう男がいたのを憶えてるか?」
大野の質問に私は顔を上げなかった。

「やつも妻を殺されたとき、朝から酒浸りの毎日だった。妻の死は自分のせいだと主張してな。今のおまえは、あのときの山中と一緒だ」

「紗也香の屍体が上がったとでも言うんですか?」
私は俯き加減にそうつぶやいた。
訪問の理由が、それだったような気がしたのだ。

「いや、違う」

「じゃあ、何しに僕の部屋に来るんです?僕がどんな風に落ち込んでいるか見て、そして笑いにですか?」
私は声を張り上げた。

「なあ、丸岡。おまえが今まで調べてわかったことをすべて、隠さず話してほしい。今の状態ならば、わしらに任せるのが得策だ」

「誘拐犯は高岡っていう男です。元義友会の構成員だったやつで、今は覚醒剤の売人をしている。そして、昔は安岡と名乗っていた」

「根拠はあるのか?その男が犯人だという」

「やつは哲学堂でヤクの取引をする」

「それだけか?」

「高岡っていう男が哲学堂でシャブを捌く。これだけでも、碓井を殺ったのはこの男って可能性は充分でしょ」

「イコール誘拐犯もその男、ってことになるのかな?」

「当然さ。じゃあ訊くけど、碓井という男は覚醒剤を常用していたのと違います?」

「いや、それは外れだ。が…」

「が?」

「捌いてはいたらしい」

「それを裏付けるものは?」

「あのときはおまえに黙っていたんだが、やつの車の中から見つかったんだ。末端価格で5000万円」

「出先はやはり、高岡…」

「いや、それはわからん。事実、高岡などという人物は存在しない」

「警部。二番目に誘拐された女の子の父親って、もしかして」

「そう、その通り。厚生省の麻薬取締官だ」

「彼が知ってるはず。そう、その人は高岡という人物の何かをつかんだんだ。だから、脅迫がてらに娘を誘拐された。金を出しても殺されたという事実を考えれば、辻褄が合う」

「おそらく、おまえの推理通りだろう」

「じゃあ、警部。今から厚生省へ行って、柳沢とかいう麻取の男を聴取すべきだ。これは殺人事件なんだ。省庁とはいえ、こちらに協力する義務がある」

「ところがな…」

「まさか…」

「まあ、殺されたとは断定できんが、先日から行方不明なんだ」

「でも自宅や職場なんかに、捜査状況を記すようなものはあるでしょう。手帳とか」

「あったら、こんなところに来て、うかない顔はしてないよ。殺されている可能性が大、だな」

私は一つ大きく溜息をついた。

「ただ、その高岡なる人物が義友会出身で、昔は安岡だったという情報は価値のあるもんだ。それさえわかれば、容易に人物を特定できる」

「特定できても、やつの潜伏場所を知り得る人物が見つからない」

「指名手配も可能さ。もとマルボウだったら、なんかしら引っ張るネタもあるだろうしな」

「とにかく警部、はやく高岡を捜し出してください。一刻を争うんだ」

「丸岡の弱気な発言を初めて聞いたよ」
大野は言ったあと、にやりと笑った。

いつもの私なら気分を害し、嫌味の一つも返していただろう。
そうでなくとも、反逆する術を頭の中で巡らしていたに違いない。

しかし、今の私は怒るどころか、藁にもすがりたい気持ちだった。
百回頭を下げても、紗也香の救出を願い出たい。

自分の無能さを尚も責め、ひたすら酒を口に運んでいた。

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