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キャンドルインターネットという会社は墨田区の本所にあった。
厩(うまや)橋を渡った春日通り沿いにあり、真新しいオフィスビルの中に入っていた。
私はエレベーターに乗り込むと、五階にある受付のところまで歩いて行った。
受付のカウンターは、テレビ舞台の大道具で使われるような安っぽい木材でできていて、それを隠すかのように真っ白なペイントが施されていた。
その後ろには、これまたお金のかかっていないグレーの大きな仕切板があり、会員募集のポスターがパネルに入って飾られてあった。
受付に人はいなかった。
その代わり、東急ハンズで売っているような電子式の呼鈴が置かれてあり、その下に『御用の方はチャイムを鳴らしてお呼びください。直ちに係の者が参ります』と書かれたプレートが貼られていた。
私は迷わずそれを押した。
どんな音がしたのかは聞き取れなかった。
が、なんとなくそれがオフィスに伝わっているのはわかる。
一分も待たずして、一人の女の子が私の前に現われた。
女の子――女性というより、そう呼んだ方がふさわしい。
背が私の肩のところまでしかなく、丸顔で鼻が低い。
赤茶色のショートヘアで――たぶん、染めているからだろう――入り込んだ蜘蛛も出られなくなるような縮れっ毛だった。
ピンク系のチェックのブラウスの上に、ぴっちりとした赤い半袖のニットを着込んでいた。
ニットの胸のところには、グーフィーの絵がプリントされている。
ゆったりめのジーンズの裾を深めにダブルにし、ピンクのコンバースを履いていた。
見たところ専門学校生、もしくはそこを卒業したばかり、といったかんじだった。
「いらっしゃいませ」
"女の子"はペコリと頭を下げた。
「責任者の方を呼んでほしい」
私は言った。
「はぁ?社長のことですか?」
「社長が無理なら、専務でもいい」
私が言うと、彼女は『少々お待ちください』と言って、仕切りの奥に消えて行った。
すぐさま、ものわかりのよさそうな若い男が姿を現した。
こちらの方はビジネスマンスーツを着こなし、営業部員のような雰囲気がある。
ただ、社長には見えない。
「お客様、社長にご用とのことですが、どちらさまで?」
「単なる、一市民さ。おたくの加入者の中に問題のある人がいてね、その苦情――いや、相談かな。そのために来たんだ」
「そうですか…。では今、担当の者をお呼びしますので」
男は丁寧に頭を下げると、さっきの女子社員同様、仕切りの奥へ歩いて行った。
私はその後、坪井という四十代前半の男から、左手の会議室のようなところに案内された。
お決まりのようにコーヒーを出され――もっとも、普通の会社のように制服を着たOLが運んで来たのではなく、さっきの彼女が出してくれたのだが――私の前に、その坪井という男が腰を降ろした。
「さっそくですが、うちの加入者の中に問題のある人がいる、とのことですが、どのようなことなのでしょう?」
男はゆっくりとした口調で訊いてきた。
私は男の後ろの壁に貼られている、レンタルサーバーの料金表に眼をやっていた。
別に理由はない。あまりに殺風景すぎる部屋なので、眼のやり場がなかったのだ。
そのくせ、床には何本ものケーブルが張り巡らされてあり、見たこともないような機材があちらこちらに置かれている。
「こういう会社って、普通のところとはかなり違うんだね」
私は言った。
男は少し面食らった顔をした。
「ええ、まあ。私たちは新種のベンチャー企業ですから。もともと五年前までは、社長と私の二人だけだったんです」
「なるほど。インターネットの普及で、ここまで大きくなったというわけか」
「おかげさまで」
男はそう言って、にやりと笑った。
不敵な笑みではなかった。
おやつを貰ったときの子供のように、素直な笑顔だった。
「実を言うとね…」
私は切り出した。
「おたくに加入している人から、いたずらメールが頻繁に来るんだ」
「はぁ…」
「殺してやるとか、呪ってやるとかね」
「はぁ…」
「もしできるんなら、その人の名前と住所を教えてほしい」
男は顔をしかめた。
そして、思い出したように顔を上げた。
「事実を確認したいと思いますので、その方のメールアドレスを教えていただけますか」
私は上着のポケットから、私のアドレスが書いてあるメモを取り出し、男に手渡した。
「"フルム・エム"だから、ふるむという名の男だろうね、きっと」
「少々お待ちください」
男は私から受取ったメモを手にして部屋から出て行った。
十五分ほど待たされた。
私はその間、出されたコーヒーをひと口だけ飲んだ。
インスタントだった。
「お待たせしました。今、調べて参りました。この方の記録によるとここ数週間、ほとんどメール送信はしていないようですが…。最近の話でしょうか?」
「メールの回数を言ってるんじゃない。内容が脅迫じみてる、と言ってるんだ」
「ちなみに、お客様のお名前と住所を教えていただけますか。できれば、加入しているプロバイダーの方も」
「そっちも教えてくれるのかな?そいつの名前と住所」
男は怪訝な表情を浮かべた。
返事はなかった。
「こっちは被害者なんだよ。どうして、教えられないんだ?」
私はさらに続けた。
「申し訳ありません。加入者の個人情報を教えるわけには参りませんので。もし、脅迫めいたメールが送られてくるのでしたら警察の方に言っていただいて、法的処置をなされたうえで協力する、ということになりますが」
「じゃあもし、僕が刑事だとしたら?」
「そうなんですか?」
男はそんなはずはない、といった顔をして訊き返してきた。
私は偽の警察手帳を出しかけた。
が、きっと見破られてしまうだろうと考え、ポケットに入れた手を引っ込めた。
「じゃあ、おたくの加入者なら、メアドから個人情報を知られるってことはあり得な
いわけだ」
「ですから、刑事事件にでもなれば変わってくると言ったでしょう」
「警察じゃないと、訊き出せないってことかい?」
「警察であっても、理由もなしにはお教えできません」
「個人情報が外に漏れるってこともあるでしょ?」
「いいえ。当社に限って、そんなことはございません。他社はどうかは知りませんが」
「社員が、持ち出すってこともあるじゃん」
「ありません。社員たちのマシンからも、オンライン上のチェックは厳重にしております。サーバー管理は私がしておりますので、はっきりとお答えできます」
「オンラインじゃなくても、フロッピーに入れて持ち帰るってことだってできる」
「お客様。いったい、何を知りたいんでしょう?このアドレスの人物のことじゃないんですか?」
「いや、メールアドレスだけで、簡単にその人物の名前や住所を知ることができるかを確かめたかっただけなんだ。それは僕のメアドさ」
男は呆れたような顔をして、ポカリと口を開けた。
「悪かったね、手間を取らせて」
私はそう言って立ち上がった。
男は、私につられて立ち上るということはしなかった。
座ったまま、恨めしそうな顔をして私を見つめていた。
私は【キャンドルインターネット】を出ると、その足で新宿の市ヶ谷へと向かった。
行き先はナーコのところだった。
今の私には、彼女の力が必要不可欠だった。