第五章 1
午後五時の外苑東通りは混み合っていた。
六本木の交差点に向かう車はさほどでもないにしろ、青山一丁目から続いていると思われる渋滞が列を成している。
しかもその六割がタクシーで、彼らにとって唯一の稼ぎどきが近づいていることを表しているのだろう。
私は防衛庁を右に見ながら、乃木坂駅に向かって歩いていた。
龍土町MAXビルの手前50メートルほどに差し掛かったときだった。
私は利奈であろう女性がビルの前に立っているのを目にした。
肩まで伸ばした髪、黒っぽいコートを着て、ベージュのハンドバックを手にしている。
彼女が私に気づくはずはなかった。
近くまで寄って右手でも上げれば、私だとわかるだろう。
もちろん、二人はお互い顔の知らない同士。
ではなぜ私だけが、その女性が利奈であるとわかったのか。
彼女は顔にマスクをしていた。
アイスホッケーのキーパーがするようなフェイスマスク。
『13日の金曜日』で主人公が被っているやつ、といった方が合っているかもしれない。
ただ、龍土町ビル一階に入っている店、ユニバーサルの前でだと、そんなスタイルにも違和感はない。
事実、ランボーの仮装をした連中や、クリント・イーストウッドを真似た連中も見受けられた。
私が利奈と待ち合わせる場所をここにした理由は、そういうところにあった。
顔を隠せば不審がられる巷の店と違い、この店は仮装大歓迎なのだ。
彼女の手前20メートルほどまで歩み寄ったときだった。
彼女は私を見た。
私は右手は上げなかった。
マスク越しに見る彼女の瞳を間近にするまで無表情を装うつもりだった。
私と目が合った瞬間、彼女の視線が外苑東通りに流れた。
私はその視線を素早く追った。
一台の車。
モスグリーンのセドリックだった。
スモークが貼られたウィンドウ。
そのウィンドウがするするっと降りた瞬間、私は咄嗟に左手のビルに向かって跳んだ。
それと同時に、銃声が鳴り響いた。
明らかに、車中の人物は私をめがけて撃ってきたのだ。
私はビルの陰に身を潜め、注意深くその車を窺った。
長髪の男が降りてきて、嫌がる利奈を車に押し込んでいる。
私は身を立て直し、車を追おうと一歩踏み出した。
しかし、時すでに遅く、セドリックはタイヤを鳴らして走り去って行った。
何事もなかったように、静かな夕どきの乃木坂に戻った。
パーンという音がしたあと、車から降りてきた男が女を無理矢理車に乗せて行った。
近くで見ていた人にとっては、ただそれだけの光景でしかない。
私に向かって銃が放たれたことや、銃を持った男が女を車で連れ去ったということに誰も気づいてはいない。
車のバックファイヤーのあと、男女間のいざこざがあった。
その程度にしか通行人の目には映らなかっただろう。
私はすぐさま近くの公衆電話まで駆け寄り、大野に直接電話した。
銃で襲われた事実は隠し、女を誘拐した車を見たと言って、犯人の特徴、逃げ去った方向、車種、ナンバーなどを告げた。
その後、私が帰宅し、パソコンを起動したのは言うまでもない。
利奈と連絡を取る手段がインターネットしかなかったからだ。
メールチェックをし、何も来ていないことを確認し、利奈宛てに『無事だったら連絡くれ』とだけ書いて送った。
もちろん、龍土町ビルの前で起こったことが事実だとしたら、利奈がこのメールを読めるはずはないし、返信もできるはずがない。
利奈は例の男の手によって、監禁されているはず。
いや、最悪の事態を考えれば、殺されている可能性もあるのだ。
私は冷静になって、今日の出来事を振り返った。
私を襲った男。
やつは確実に、銃口を私に向けていた。
利奈の前に車を停めて、私が来るのを待っていた感じだった。
目的は一つ。
私を殺すため。
私を殺す必要があるとしたら、その理由も限られている。
なんらかの復讐?
いや、考えられるのは、私から知られてはいけないことを知られてしまった。
でもなぜ、利奈のそばにいたのか。
しかも、利奈は相手の存在を眼で示した。
私に教えてくれたと、解釈できる
ただ、逆に考えれば、相手に私の存在を教えてやったとも取れる。
私はひとつ溜息をつき、もう一度、メーラーの送受信をクリックした。
すぐに一通のメールが落とされたことに目を見張った。