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考えられることは二つあった。
一つは、利奈が嘘をついているということ。
やはり、ユニバーサルの前に立っていたのは本人で、私から顔を知られていないことをいいことに虚言している。
そしてもう一つは、あのフェイスマスクの女が利奈に似せた、何者かであるということ。
彼女とあの場所で逢うことを知り、それを利用し、私の命を狙った。
ただ、その正解がどちらであろうと、この件と利奈とがなんらかの形で繋っているのは否めない事実だった。
私と彼女はEメール間で、逢う約束をした。
もちろん、私はそのことを誰にも話していない。
こうなると、利奈が誰かに話した、もしくは利奈が首謀者と考えざるを得ない。
私に銃が向けられる直前、あの女は車に視線をやった。
私と眼が合ったすぐあとだった。
もちろん、あのときの彼女は私に注目視すべき車があることを知らせようとした、と私はとりたい。
あの動作が、私が現れたことを車の男に知らせた、ともとれなくはないのだが。
私はあのときのシーンを振り返って、それが一連の誘拐事件と関係しているのか、はたまた、単なる私への復讐劇だったのか、その判断さえできずにいた。
三件の誘拐事件と結びつく要素はほとんどない。
ほとんどない…そう、それは『ないこともない』という意味。
この件と利奈とを強引に結び付けるものがあるとしたら、それはただ一つ。
インターネット。
私はこの日、最後の手がかりかもしれない川崎市宮前区の鷺沼に来ていた。
田園都市線の駅を出て、たまプラーザ方面に向かってゆっくりと歩く。
緩い下り坂の途中に、その店は見つけることができた。
宅配ピザの店『ピザーロ』の前には、三台の宅配用のバイクが駐まっていた。
ちらりと店内を覗くと、二人のバイトらしき男女が赤い制服を見え隠れさせていた。
私は店頭のカウンターのところまで歩み寄った。
「やあ」
私は女の店員と眼が合うと同時に、右手を上げた。
女は無表情で私を見つめていた。
色白で丸顔の、どこかあか抜けない雰囲気があった。
おそらく、上京して一年も経っていない学生であろう。
「ちょっと、訊きたいことがあるんだ」
私はすかさず言って、彼女の前に偽の警察手帳を掲げた。
女の顔が益々無表情になった。
慌てたように、男の店員が彼女と私のあいだに割り込んできた。
「なにか?」
男は従業員として見れば、見られなくもなかった。
ただ、歳をとったフリーターにも見える。
「この界隈で、誘拐事件が多発しているのは知ってるかい?」
私は言った。
「ええ、まぁ…。何度か、いろんな刑事さんに訊かれましたから」
「何度も同じことを訊いて悪いけど、十二段上って右に反転して、九段上ったところが二階。そして、そこからまた十二段上って右に反転して、九段上ったところが部屋になっているマンション、いやテナントビルかもしれないけど、まぁ、そんなかんじだから当然エレベーターはないだろうな。部屋の間取は二部屋以上だ。部屋同士を繋ぐインターホンがあるぐらいだから、そのへんの安っぽいアパートとは違う。ピザを届けに行くと、若い女性が出てくる。歳はたぶん十代後半から、二十代前半だろうな。いや、もしかしたら、江口洋介に似た男が玄関に立つことがあるかもしれない。ピザを注文する回数は多くない。ひと月に一回か二回だ。どう?こんなかんじで、心当たりはない?」
男は考えるそぶりも見せず、首を大きく横に二回振った。
それは、ニンジン嫌いの子に『ニンジン食べる?』と訊いたときと同じようなリアクションだった。
「じゃあ、質問を変えよう。この辺りで、江口洋介似の男を見たことはないかい?」
私が問いかけた瞬間、カウンターの中の女が『あっ』と声を漏らした。
目の前の男が振り返った。
「ほら、このあいだ高木さんが怒鳴られたのって、江口似の人だって言ってなかったっけ?」
女が言うと、男は小刻みに首を縦に振り、私の方に再度顔を向けてきた。
「たまプラの駅まで行く手前の路地を右に入ると、『薮寿司』っていうお寿司屋さんがあるんです。先日、そこの前にバイクを駐めてたバイトの子が、邪魔だって怒鳴られたことがあって、その人が江口似だったとは言ってましたけど…」
「服装は?」
「それは聞いてません。なんせその子、今は春休みで田舎に帰ってまして。その人、横浜ナンバーの白のベンツに乗ってたって言ってましたけど」
「そうか、ありがとう。すぐそこの路地だね」
「はい、先に信号が見えるでしょ?そこを右に折れるんです。『薮寿司』って看板がすぐに見えます」
「ありがと」
私は男に右手をあげて礼を言うと、その方向に歩いて行った。
『薮寿司』の入っているビルは、茶色の煉瓦造りの四階建てだった。
私はその周辺に白のベンツが駐まっていないか注意深く窺った。
もっとも、駐まっているのは一台だけ、品川ナンバーのグロリアだった。
十年以上も前の古い型で、ダッシュボードのところに『横浜市区分地図帳』が無造作に置かれてある。
こんな薄汚い車に高岡が乗っているとは考えられなかった。
私は寿司屋の横にあるビルの入口へと足を運ばせた。
狭くて短い通路から、左手が上に通じる階段になっていた。
エレベーターはない。
私は息を呑んだ。
私は階段を上って行った。
十二段上った。
すぐに、反転する。
そして九段。
そこが二階だった。
私は三階まで行くのも同じ段数なことを確認し、そのフロアに一つしかない部屋の前に立った。
部屋のドアは朱色に染められた鉄製のものだった。
表札は出ていない。
呼鈴はあったがそれには触れず、ドアノブに手をやった。
ゆっくりと回す。
ドアには鍵がかかっていなかった。
私は恐る恐るドアノブを引いた。
中の様子は暗くて窺えない。
一歩踏み出す。
その瞬間、明かりが灯った。
いや、中にいた誰かが灯したのだった。
私はそのとき初めて、私に銃口を向けている男がそばに立っていることに気づいた。