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私はホステスではないわけで、客から指名を受けて同席するといったことはない。
それでも、どうしてもという客からの要請があれば断るわけにいかず、ゲスト待遇でソファーに腰掛けることも少なくはなかった。
ただ、そんなときは決ってホステスが会話の中に私の名前を持ち込み、客がその男を見てみたい、と言い出したときが常だった。
私はそんなときでも怪訝な顔は見せず、あくまでもスマートに接客をこなした。
必ずしも嫌な客とは限らないわけだし、嫌だったときは即座に退席すればいい。
それだけのことだ。
しかし、今夜のお呼びはいつもと事情が違うようだった。
代理の店長が気まずそうな顔をして『丸岡さん、お客さんがお呼びなんですが』と、半ば私に助けを求めるようなそぶりで言ってきたのだから。
私は『はい』とだけ答え、カウンターをボーイの子に任せると、キャッシャーのところに掛けてあった上着を羽織り、アカデミーを受賞したハリウッドスターのごとく颯爽とした出立ちでホールへ向かった。
狭い通路からホールへ入ると、左手にグランドピアノが置かれてある。
今夜、そこでは非常勤で来ている音大の女子学生が曲を奏でていた。
『You'd Be So Nice To Come Home To』だった。
私の姿を見つけた彼女は軽く会釈をした。
私は小さく親指を立てて見せ、右側の壁に沿ってずらりと並べられたテーブル席に目をやった。
客は三組。
いちばん手前には三十代前半の男――たしか青年実業家で、前に悪趣味なグリーンのポルシェでやって来たのを見たことがある――が、三人のホステスをはべらせ、何やら深刻な話をしていた。
右の奥、コーナーの席には会社の重役らしき男が二人。
ここにも、三人のホステスがついていた。
そして、私のほぼ正面のテーブルにいる男。
二人のホステスがついているものの、話が弾んでいる様子はなかった。
その客はソファーの背もたれに仰け反るようにして座り、今にもテーブルを蹴り上げてしまいそうなほど不機嫌な顔をしていた。
私はゆっくりとそのテーブルに歩み寄った。
「どうも、こんばんわ。お久しぶりです、山岸さん」
私はそう言いながら、近くのテーブルから丸椅子を持ってきて、ホステスとホステスのあいだに割り込むようにして入った。
私が腰掛けると、ボーイがウーロン茶入りの8オンスタンブラーを持ってきた。
私はそれを右手に掲げ、男と乾杯するそぶりをした。
男はグラスには手をやらず、身を乗り出して私の顔を睨みつけてきた。
「麻美をどこにやった?」
私は何も答えず、この男の顔をじっと眺めた。
顔が紅潮し、目が血走っている。
「麻美は休んでるんじゃなかったかな。体調でも悪いんでしょうね。女の子の場合は、しょっ中あることですよ」
私は言った。
実際のところ、麻美は昨年いっぱいで店を辞めている。
が、このことは店の決まりで、客には話さないことになっている。
「昨日も一昨日も――その前、先週の金曜から休んでるじゃないか」
この男は土日を挟んで四日間も通い続けているらしい。
カウンターから出ていない私は、初めてそのことを知った。
「四日も休むほど、具合が悪いってことでしょうね」
「三宿(みしゅく)のマンションにもいない。と言うか、引越したあとだった。車も、置いていったまま」
「なるほど。蒸発したってわけですか」
「居場所を知ってるんだろ?」
「僕はあの日以来――ユニバーサルで三人で会ったときから、彼女とは顔を合わせていない。連絡もとってないし」
「君らは、できてるんだろ?。何週間も連絡がないってことがあるか!」
私は私の両隣にいたホステスたちに席を外すように言った。
辞めたとはいえ、麻美のよからぬ噂が店の中に広まるのは耐え難い。
麻美はこの春、八歳年下のサラリーマンと結婚する予定だった。
そのため、この男――要するにパトロンなのだが――との交際を断ち切る必要があった。
「山岸さん。今だから言うけど、僕と麻美ができてたというのは偽り話なんだ。彼女はあなたと別れたがっていた。僕を当て馬にすれば、それができると考えたわけなんだ」
「私と別れたいだと?私があいつに、どれだけのことをしてやったと思ってる?マンションだって買ってあげたし、乗り回してる車も私のものだ。生活費だって渡してる」
「金で拘束していたにすぎないってことですね」
山岸は右手の拳を握り締めた。
今にも、殴りかかってきそうだった。
「まあ、もう麻美のことは忘れてやってもいい。ただ、貸したものは返してもらう。あいつとつるんでたんだ。君も同罪だ。その責任を負ってもらう」
「山岸さん。僕と麻美はホステスとバーテンダーの関係。同僚というだけだ。そこまでやってあげる義務はないでしょう」
「君はこの世界の怖さを知らないみたいだね」
「どういうことでしょう?」
「君みたいなバーテンが東京湾あたりに屍体で上がっても、誰も哀しみはしないってことだよ。東京は危険なところだ。帰りの夜道。いや、ホームで電車を待ってるとき、単に昼間その辺を歩いてるときだって、何があるかわからない」
「脅してるわけですね」
私はそう言って、手元のウーロン茶に口を運んだ。
私が仕込みのときに大量に作っておいた、まずいウーロン茶だった。
「私は麻美の居場所を教えろと言ってるだけだ。それができないんなら、災難がつきまとうことになる」
「僕は知らない」
「じゃあ、捜し出せ。捜し出して、私のところに連れて来い!」
「ということは、失踪人の捜索ですね。僕は副業で探偵をやっている。人を捜す場合は、それなりの費用をいただくことになっている」
「ほほう。自分で隠しとして、見つけた場合は金をいただくってか。バーテンのやりそうなせこい考えだ。まあ、いいだろ。見つけ出して連れて来い。そしたら、調査費だか探偵料だか知らんが、払ってやる」
男はそう言って名刺を一枚取り出した。
千葉にある消費者金融の社名が入っていた。
もちろん、肩書は代表取締役だ。
「ただ、今の僕は別件で忙しい。麻美捜しは、それが済んでからってことになりますけど」
「三日以内だ。それ以上は待てない。それができない場合は、うちの若いもんをここに送り込む。君一人のせいで、この店は迷惑を被るわけだ」
「若いもんねぇ…」
私はそうつぶやき、またもウーロン茶を啜った。
その瞬間、私はちょっとしたアイデアを思いついた。
もしかしたら使えるかもしれない、と思った。
「山岸さん、裏の稼業でも顔が利くんですか?」
私は声を裏返して言った。
男は一瞬、たじろんだ。
私の変わり身に、面食らったという様子だった。
男はその後、大きな声を出して笑った。
「今ごろになって、やっと音を上げたか。最初っからそうやって素直になれば、問題はないんだ」
「すいません。僕は山岸さんが、ただの金融屋さんだとばかり思っていました。あちらの世界でも顔が利くなんて、見くびってました」
「まあ、いい。それで、麻美はどこにいる?今」
「実を言いますと、麻美には本命の男がいまして…」
「誰だ?それは」
「それが…」
「言え!誰なんだ!」
「暴力団と繋がりのある、危ない男なんです」
「どこの組だ?」
「義友会系にいたと聞きました。今、全国指名手配中です」
「名は?」
「組員のときは安岡と名乗っていたらしいですが、今は高岡。大掛かりなシャブ取引をやってる男です」
「麻美は今、その男と一緒なんだな?」
「はい。利奈という偽名をつかって、警察の目の届かないところに隠れているはずです」
「なるほど…。だから、いくら手を回しても見つからなかったのか」
「高岡を見つけられますか?」
「私のバックには、柏の琴見組がついている。組を抜けたチンピラ一人を捜し出すのは、わけない」
「そうですか。話してスッキリしました。今までなぜ言わなかったかというと、高岡の仕返しが怖かったんです。言ったら、何されるかわかんないし」
「君は偉そうなことを言うわりに、小心者なんだな」
そう言ったあと、男はまたも大きな声を出して笑った。
そのとき、私の肩を叩く者がいた。
私は振り返った。店長だった。
彼は耳のところに、手を当てていた。
私に電話、というサインだ。
私は山岸に軽く会釈をして立ち上がり、店長と一緒にキャッシャーのところまで歩いて行った。
「警察からのようです。緊急だと言ってます」
私は慌てて受話器を取った。
「もしもし、丸岡さんですか。こちら神奈川県警察、川崎北署の森口といいます」
私はそのあと、自分の耳を疑った。
言葉も出なかった。
なぜならその知らせは、紗也香が病院から連れ去られたという一報だったからだ。