第六章 1


私は『ヴォーグ』を退店した。
休んだり出たりでは店に迷惑がかかるし、その都度了解を乞うのも私の性分ではない。
選択は一つ。
辞めるしかなかった。

独りで哲学堂まで行って、あるはずもない手掛かりを求め、新井薬師の探偵社に出向いてはヤクザの脅しに近い詰問を浴びせかけ、毎日何度も前妻の家に電話をし、犯人からの要求はなかったか、変わったことはなかったかを尋ね、神奈川県警には八つ当たりに等しい電話を何度もかけ、そうしながら紗也香の笑顔だけは思い出さないようにと努力して、日々を過ごした。

できることはすべてやった、と私は思っている。
もちろん、満足しているわけではない。
すがるものさえあれば、絹糸一本にでもぶら下がりたい気分だった。

私は部屋のステレオのそばまで行って、チャンネルをラジオに合わせた。
洋楽専門のFM局だった。

私はテレビが嫌いだ。
無責任なことを一方的に流すだけなのに、人の目を奪ってしまう。
人間、見るべきものはたくさんある。

例えば、子供が誘拐されるドラマ。
ハラハラしながら画面を見つめる。
迫真の演技。
そして無事に子供が救出され、見るものに感動を与える。
――馬鹿な・・・。
実際の境遇だったら、そんなものなど見たいはずはない。

例えば、情報番組。
大きな事件のドキュメンタリー仕立て。
悲しい出来事ならば、お涙誘うBGMとナレーション。
悪人とわかれば、ヴィジュアル効果を最大限に生かしてのワルさ表現。
それを鵜呑みにする視聴者。
ただ単に、眼で洗脳させようとするカルト宗教に等しい。

偽られた画像。
作られた二次元の世界。
そこから生まれるものなど何もない。
魅力的なものなど、何一つないのだ。

ラジオからは『ロック・ウイズ・ユー』が流れていた。
リメイクされたカバー曲だが、私が昔、マイケル・ジャクソンで聴いたものとほとんど変わらなかった。

パソコンを起ち上げる。
利奈とのメール交換を続け、なんとかして彼女の居場所を突きとめたい。
今までの送信元が横浜のたまプラーザであり、プロバイダー契約者の名前が高岡である以上、彼女が高岡と繋がっていて、イコール紗也香の誘拐に関わっているのは明らかなこと。

真っ暗な部屋。
液晶画面の明かりだけがぼんやりと映る。

メーラーは一分ごとにメールチェックする。
私は待っていた。この瞬間。
利奈からのメール。

久しぶり(^^)利奈でーす♪

丸岡くん、元気かな?

島根はよいとこよ。

私は文面をここまで読んでから、すぐさま大野の携帯に電話を入れた。
彼は二度目のコールで電話に出た。

「僕です。丸岡です」

「おう」

「メールが落ちました」

「わかっとる。今、問い合わせ中だ――何?ちょっと待て」

大野はそのあと、誰かと電話をしているようだった。
私はいらいらしながら、次の言葉を待った。

「わかったぞ。メモできるか?」

私は慌てて、ペンと紙を用意した。
「お願いします」

「豊島区池袋、五の二十三番地の公衆電話。今から、池袋署の署員を向かわせる」

私はそれだけ聞くと、返事もせずに電話を切った。
私がこれから池袋まで行ったとしても、それより早く警察は直行していて、電話に付いた指紋、その他を念入りに調べているに違いない。

メールの続きに眼をやった。

>僕は君と逢えるんなら、どこへだって行くつもりだよ。

丸岡くん、ほんと?

島根まで来てくれる?

えっとね、近くには温泉もあるんだ。

うちの窓からその看板も見えるし。

わたしね、ときどき夢を見るよ。

丸岡くんが逢いにきてくれて・・・

私はすぐさまブラウザを起動した。検索サイトを開く。
検索ワード『島根』、『温泉』・・・1,982件。
私は大きくため息をついた。

電話が鳴った。
さっきの声、大野だった。

「何か、ありました?」

「何かありました、じゃない。いきなり電話を切るな」

「すいません」

「池袋署から連絡があった。犯人はノートパソコンを使って、公衆電話のISDN回線からメールしてきたようだ」

「そんなことはわかってます。他には?」

「メーラーのバージョンから、パソコンはコンパックの最新モデル」

「それって、いつ頃に発売されたものです?」

「市販されたのは11月の初旬。関東圏だけで、だがな」

私は利奈とのやり取りを始めた時期を思い出そうとした。
時期的には重なる。

「島根では?島根で発売された時期は?」

「中国、四国、九州は、それより二週間遅れだ。でも、島根がどうかしたのか?」

「大野さん、お願いがあるんです」

「ん?」

「島根にある温泉地を調べてほしいんです」

「温泉地の、何を調べりゃいいんだ?」

「犯人は島根の温泉地に潜伏している可能性がある」

「なんで?」

「今来たメールに書いてあるんです。島根の温泉地にいるって」

しばらく間があった。

「あのな、丸岡。犯人がみすみす自分の居場所をメールに書くと思うか?じゃあ、犯人は島根に潜伏しながら、池袋からメールをするってか?常に冷静沈着、決して慌てることのない丸岡くん。気持ちはわからんでもないが、もう少し現実的に考えてみろ。利奈なんて女はいない。メールの中身は、すべてでたらめ。書いたのは高岡か、共犯者の女だ。メールは信じるな」

「大野さん、でも調べてみる価値はある。できることはすべてやる。そうしないと、あとで後悔しそうなんだ」

「丸岡。今回は同情もあって、捜査状況をすべて話している。だがな、決して独り歩きするな。わしは、なんだか、おまえが死ぬような気がしてならないんだ。いいか、絶対に暴走はするな」

「死ぬはずがない。死ねるはずなんてね」

「だったら、いいんだ。それじゃ、わしはまだまだやらなきゃならんことがある。電話を切るぞ」

「どうぞ」

私は大野が電話を切るのを待って、メーラーの返信画面を開いた。
キーボードを叩く。

島根、良いところのようだね。

もちろん、逢いに行こう。

いつの何時、どこへ行けばいいのか指定してくれないか。

必ず行くよ。

返事はなるべく早く頼む。

丸岡

私は書き終えたメールを送信ホルダーに移し、送受信ボタンをクリックした。

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