母の日記

恐怖!「Ayaka踊り」の呪い

退院したAyaka-manは最初の日、驚くほどいい子だった。
教科書どおりに3時間ねんねしてはおむつ交換、おっぱいしてまたねんね。
相変わらず泣きもせず、ぐずりもせずベッドに寝かせてもグーグー。
「泣かない子だねぇ」とのん気な会話、いまとなっては只のノー天気夫婦といえよう。
安心させててふいをつく、この恐ろしい戦術をAyaka-manは生まれながらに身につけていたのだ。

 退院日の夜には、Kuma父は京都の自宅に帰り(里帰り出産だった)私とAyaka-manの大阪での生活が始まった。
じぃじもばぁばもすでに70を越える正真正銘の老人だ、あまりあてにはしないで育児に専念せねば、という母の気持ちをよそに、久しぶりの孫誕生(実に18年ぶり!母は5人きょうだいの末っ子なのだ)にAyaka-manがかまえといえばかまい倒し、かまえと言わずとも寝た子を起こしてかまってぐずらす始末。
しかし老いた身に赤子といえども3sもの重さに耐えれる時間はほんの2分程度。
すぐに
「おかあさーん、泣いてるでぇ」
と泣きもしてないのに母に抱っこさせる。
ウルトラマンでも3分持つぞと言いたくなるのをぐっと堪え、腱鞘炎の進行を恐れながらAyaka-manを抱っこしてねんねさせる。

抱っこしてると本当によくねんねするのだ。
「楽勝、楽勝!ほんまに簡単にねんねするよ。病院でもよくねんねしてたもんな!」
今思えば只のおめでたかーちゃんである。
どっかの首相以上に危機管理できていないのである。

 二日目からいよいよ本領発揮のAyaka-man、前日のように抱っこしてねんねさせ、そっとベットに置いた。
と、Ayaka-man、グィーンと背伸びをし、その後激しく両手を振り回し始めた。
あっけにとられて眺めていると、どうやら、足までバタバタさせ掛けてる布団も蹴り上げた。

「すっごーい、この子運動能力高いわぁ」
今思えば・・・きりがないのでやめとこう。
そしてそのうち気合を入れて泣き始めた。
「ほんんんんぎゃあああああああ!」

そう、両手振り回し両足バタバタは気合を入れて泣くためのウォーミングアップだったのだ。
「泣くやん、この子。ちょっとは泣かななぁ。運動、運動」
とやはりノー天気なばぁばの助言に、
「そっかー、運動ねぇ」
と見ていたが、あんまり激しい泣きっぷりに1分たたず
「あんまし泣かすのは可哀想や、抱いたりや」
と手のひらを返すばぁば。
「運動ちゃうん?」
と切り返せば
「そんなん誰が言うたんや、こんに泣いてて、運動やなんてなぁ、可哀想に」
と自分が言ったこともすっかり忘れて責めるばぁば。
ご都合老人ぼけのふりをされては太刀打ちできない。

それから1ヶ月間、Ayaka-manはベッドに寝かせると、両手ブンブン両足バタバタとさせ気合を入れて泣き叫び、私とKuma父はその様子を「あやか踊り」と呼んでは、恐れていた。
「あやか踊り」が始まると例え食事の途中でも、例えトイレに行きたくとも、そしてそしてどんなに眠くてしょーがなくても、呪いにかかったかのようにAyaka-manの言いなりとなり、気がすむまで抱っこしつづけねばならないのである。

恐るべしあやか踊り!そして恐るべしAyaka-man!いまやベットは物置と化し、母と一緒の布団で眠るAyaka-manであった。