'06 .12.16

Rasputin

時の権力者に寄り添う宗教者というのはどこの国にも存在する。
日本では天海がよい例。彼は徳川家康、秀忠、家光に仕えることで国政に口を出せる立場にまで伸し上がった。。
まあ、民主主義国家ではそれもままならないわけだが、それだけに民衆を洗脳し国家転覆を企てる輩もまたいないわけではない。
このラスプーチンの野望がどんなものだったのか今の私には知るよしもないが、現在残っている彼の形跡を辿ると、その人間像というものが僅かながら見えてくる。

グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンはシベリアの片田舎の出身。ごく普通の農家の家庭に生まれ育った。
20歳で結婚した彼は突然、父親と妻に「巡礼の旅に出てくる」と言い残し、ふらりといなくなる。
一説では畑仕事をしているときに聖母マリアから啓示を受けたと言われているが、おそらく重労働に嫌気がさした言い訳であろう。

その後、彼の巡礼は10年近く続き、30歳のときには不思議な治癒力をもつ放浪の説教師として周囲に大勢の民衆を集めるほどになる。そのころになると彼はシベリアの農民たちのあいだでは有名人になっていた。

ラスプーチンは1903年“ペテルブルグで1年以内にロシア皇帝の後継ぎが誕生する”と予言。その翌年の8月には本当に皇太子アレクセイが生まれたためこれが的中した。またその皇太子が生まれつき病弱だったことから、皇后が治療医として彼を召し抱えるようになった。これが彼とロマノフ宮廷とが深く関わることになったきっかけである。

1908年ごろから皇后の狂信的な信奉もあり、宮廷内での彼の影響力は絶大なものになっていく。ただ強大になりすぎた権力はその反面、多くの敵をつくり出すことになる。

1912年、彼はこう予言している。「私が生きているあいだは王家も安泰だが、私が死ねば王家の人々の生命までも失われよう」
これは当然のごとくロシア議会から非難の標的にされる。

しばらくして彼の暗殺事件が始まるわけだが、ラスプーチンが伝説の人と言われた所以はここからだ。
青酸カリ入りのケーキを食べさせられても青酸カリ入りの酒を飲まされても死なず、背後から何発もの銃弾を打ち込まれてもナイフで刺されてもまだ死なない。
最終的には顔の形が変わるほど殴られ、やっと動けなくなったところで全身を縛られ、凍てついたネヴァ河に放り込まれるわけだが、三日後に引き上げられた彼の遺体の肺には大量の水が詰まっていた。つまり河に放り込まれたときにはまだ生きていたということだ。
おそるべし、ラスプーチン。

それと、亡きあとの彼を悪者に仕立てあげたエピソードに『ラスプーチンは無類の性豪だった』がある。事実、ロシア語の『放蕩』を意味する言葉に“rasputnii”があり、これは彼の名前に由来している。
貴婦人から売春婦までを巻き込んで乱交まがいの儀式を行い、そこで彼女たちの悪霊を追い払うとして儀式を執り行った上、性交にまで及んだとされている。

また、夫と子供を捨ててまでラスプーチンを熱烈に愛した女性信者もいたようだ。
そのような信者はラスプーチンのカリスマ性にすっかり魅了され、彼のことをキリストの再来として崇め、自らのことを聖母マリアであると考えたのである。 あるときはラスプーチンの巨大なペニスにすがりつき、彼に激しくぶたれながら「あなたはキリスト、私はあなたの羊です!」と叫んだという。
もともと暗殺の理由に、ラスプーチンと皇后アレクサンドラとの愛人関係(ドイツ(西)と密約を交わしているのではないかという疑心)も実在するのだ。

実際に一世紀以上も前の人物なのだが、ホルマリン漬けされた彼の性器がなぜか近年になって発見された。
顔写真も含めネットにも多くの画像が出回っているようだが、見た目グロなので当店ではあえて載せないことにする。

以上

MusicColumnでBoney M / Rasputinを紹介しています。


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