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MEMORANDUM−陶房雑記帳2011年1月

■私の窯と窯焼き

私の窯はふたつとも灯油窯です。最初に設置したほうの小型窯は竹薮の横に新しい窯を設置してからは、もっぱら小物の素焼き用に使っています。古いほうは今月で累計300回以上の焼成を重ねています。
  新しい窯は設置してから既に9年経過しましたが、累計100回以上の本焼をしています。
  今年二回目の窯開きをしました。本焼は大体月1回の焼成ペースですが、今年はがんばるつもりですので昨年よりちょっとペースが早いです。朝二時半におきて三時に点火し、夜九時に火を止めました。厳寒の中、夜中に起きるのは勇気がいりますが、やはり自分の好きなことですから楽しみのほうが優先します。焼成時間はそのときの気候や気温・焼き方などによって多少異なりますが、大体私の窯では18時間が平均的な所要時間です。
  今回は特に新しく自分で調合したトルコ青釉や青系の交趾釉などをかけた“試焼品”が幾つか入れてあるので窯出しが楽しみです。900℃を越えたあたりから弱還元の状態を保って1250℃(窯上部)〜1230℃(窯下部)まで維持してそのままの状態で二時間くらい焼いて、最後は炎の量を弱くして約一時間くらい酸化で焼いて火を止めました。さて、どうなっていますか?
  窯開けした結果は・・・新しく調合した釉薬は流れ易く棚板に付いてしまったり、発色もトルコ石の色(又は青緑)を期待したのですが“どす黒い青緑”になってしまったり、光沢が強く貫入が入ってしまったり・・・と、失敗です。
 悲喜こもごも、気を取り直して再挑戦です。(2011.1.29)


■出光美術館を訪問しました

出光美術館を訪問しました。この美術館は丸の内の帝劇ビルの中のワンフロアーにあるので外観は目立たないのですが、私の好きな美術館のひとつです。
  1966年(昭和41年)に出光興産の創始者出光佐三氏(1885-1981)のコレクションを展示する場所として開館しています。日本の書画や中国をはじめとするアジアの陶磁器など東洋の古美術を多く所蔵しているようです。出光佐三氏の好みでもあったのでしょう。
  ちょうど「琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派―」という企画展を開催中でした。華やかな江戸時代の草木花絵画・屏風など、俵屋宗達や本阿弥光悦のものが中心でした。
  私は絵画の良し悪しは良くわかりませんが良く見ます。絵画を見るときの自分なりの基準は、描かれた線が“伸び伸びしているか”、そして全体が“大らかか”、という基準で観賞するようにしています。名画といわれるものはすべて線が伸び伸びしておおらかに描かれていると思っています。
  焼物では尾形乾山の作品が多く展示されていました。
  美術館に付属している資料館では、日本及びアジア・中近東の窯から発掘された陶片資料が展示されていました。陶片を見ながら、それらが作られた昔の陶工たちの姿と行動を想像するのは楽しいです。私もひとつだけ昔(桃山時代)の陶片を持っています。10年ほど前に岐阜県の古い窯跡を訪ねたときに拾ったものです。綺麗な陶器のかけらではなく、多分、道具土の陶片と思いますが昔の陶工の指の跡が残っていて何となく往時が偲ばれます。このあたりで陶芸が盛んであった400500年くらい前の安土桃山時代のものではないかと勝手に思っています。そう思い込むだけで楽しいですね。
  出光美術館を前回訪問したときには、植物の種類別の自然釉の標本があってもう一度見たいと思ったのですが、今回は見れませんでした。例えば同じ植物の灰でも、松の灰、藁の灰、椿の灰、桑の灰・・・皆熱で溶けると雰囲気が異なるのです。しかし、大いに勉強になりました。(2011.1.25)
   私の宝物・安土桃山時代の陶片



■高倉陶房の椿

私はコーヒーカップや陶板などの作品によく椿の花を描きます。高倉陶房の庭には約40種類の椿がありますので、モデルには事欠きません。
  秋咲きの馥郁(ふくいく)とした「西王母」に始まって年が明けると桃色侘び助が咲いて、5月連休前くらいまでにいろいろな種類が花開きます。白侘び助、白玉椿、肥後椿、紺侘び助、ベトナムの椿、中国原産の金花茶・・・・もちろんやぶ椿も。一本一本の椿にそれぞれ思い入れがありますが、その中でも私の自慢の一品は「玉之浦」です。
  10年ほど前に近所の椿愛好家、Kさんから譲っていただいた逸品です。
  五島列島福江島の玉之浦町に自生するやぶ椿の中から偶然見つかった品種と言うことで珍重され、愛好家の垂涎の的になっている品種です。赤やぶ椿に白覆輪の清楚さと高貴さとを併せ持っていることから、お茶席などでも茶花として珍重されている名花です。
  1973年に長崎市で開催された全国つばき展で初めて発表されてから有名になった品種であると言うことですが、わが庭の玉之浦は根元周囲の太さから推定して樹齢2030年くらいと思われます。ということは発表され有名になってから間もなく接ぎ木か挿し木で育てられたものであろうと思われます。
  千葉市内で椿を集めている友人のFさんが、わが家の玉之浦を見て“これだけ太い玉之浦は初めて見る”、と言っていたのを思い出します。
  いずれ五島列島に旅行して原木を訪れたいと思っていたのですが、原木はその後枝を奪われたりして裸同然の姿で枯死してしまったということです。残念。
(2011 春)
             玉之浦椿
    


■神王窯からの年賀状

今年も神王窯の塙幸次郎さんから年賀状を戴きました。
  塙さんからの年賀状は毎年同じで、窯のある長野県信州新町の自宅の庭から見える南アルプスの素晴らしい風景をバックに、越前焼の伝統的な輪積み成形で製作し焼き締めた大きな壷の写真が添えられています。
  釉などは一切掛けないで大きな穴窯に入れ、火入れをしてから徐々に温度を上げ7日間にわたってただただ焼き続けて、炎の洗礼を受けて窯出しされた見事な大作ばかりです。私も陶芸を初めてから最初のころは塙さんの紹介で越前の粘土を使っていました。
  だいぶ前のことですが神王窯の窯焼きを泊りがけで手伝いに行ったことがあります。松本市と長野市を結ぶ国道19号線の信州新町から更に山奥に入った弘前というところに神王窯はあります。
  私が手伝ったのは焼成の最終段階で窯の温度は1200℃前後になっていたと思います。窯が音を立てて焼けているその窯の口元から塙さんがスコップで灰を投げ入れていました。灰が作品にかかり高熱で溶けて流れて自然釉となり大切な作品の雰囲気になるのです。煙突からは大きな炎が上がっているのに興奮した記憶があります。仲間や友人が集まって手分けして窯焼きを手伝うわけですが、やはり塙さんは7日間火を止めるまでは仮眠程度しかできなかったようでした。窯焼きは本当に大変な作業だと思います。
  二度目に神王窯を訪問したときは、南アルプスの山々を眺めながらハープの演奏を聴き、庭でバーべキュウを食べるというイベントのときでした。「コンドルは飛んでゆく」を聴きながら・・・美味しい酒をいただきました。(2011 新春)

      神王窯で焼いた私の花いれ→
         



■竹林精舎の陶板

高倉陶房の窯小屋は竹林の中にありますので、窯小屋に「竹林精舎」と書いた陶板を作り掛けてあります。
 「祇園精舎」という言葉は平家物語の冒頭の言葉としてあまりにも有名で誰にも知られています。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれるものも久しからず、只春の夜の夢のごとし・・・」。
しかし、「竹林精舎」という言葉は多くの人には耳慣れない言葉と思います。関連する書物で調べると、お釈迦様が若いときに当時の後援者(スポンサー)から修行の場所として祇園精舎と竹林精舎とを贈られた、と書かれています。インド北部には今もその跡が残っているということです。
  竹林精舎の陶板を作ったのは、竹林に囲まれてしっかりと陶芸の修行をしようという気持ちです。無論お釈迦様には無断で付けた名前なのですが、寛大なお釈迦様にはお許しいただけるものと思っています。
  狭い竹林ですが毎年4月から5月の連休前にかけて竹の子が結構多く採れます。自前の陶皿に竹の子料理を盛って仲間たちとバーべキュウを楽しみます。焼き竹の子も美味しいです。掘ったばかりの竹の子を皮をつけたまま焼いて、焼きあがったら皮を剥いて日本酒と醤油を掛けて、山椒の若芽を乗せて出来上がり。ハナミズキの花の下でのバーベキュウ、楽しみです。(2011 新春)    
                 
                    ↑「竹林精舎」陶板


■2011年元旦・今年の抱負・・・青へのこだわり

今年は、「青」に拘ってみたいと思っています。
  画家ピカソの作風に“青の時代”があったと何かの本で読んだことがありますが、陶芸の歴史に関しても“青の発見”、“青の時代”は大きな技術革新を生んだ時代であると思っています。
  昨年秋、中国の景徳鎮を訪問し、景徳鎮における陶芸の歴史や作風の変遷などを学んで、私はこの感を更に強めました。
  景徳鎮は“世界の磁都”として発展してきましたが、元の時代(1300年ころ)に西方との交易が発達し、青い顔料となるコバルトが手に入るようになり、いわゆる呉須(中国では「天青」とか「回青」とか呼ばれている)による“染付け技法”が始まったのが大きな転機であったといわれています。
  また、同じような時期に西域から幾つかの焼物が入ってきたなかに、いわゆる“ターコイズブルー”(トルコ石のブルー)もあったはずです。
  更に中国南部今のベトナム国境に興きた交趾焼もベトナムの交趾支那との貿易で交趾船によってもたらされたということですが、これらの焼物の中にも“南から海を渡ってきた青”があります。
このように「青」は多くのロマンを含んでおります。
通常、陶芸作品で「青」または「緑」を表現する方法としては・・・・

  コバルトを含んだ顔料を用いた“青”・・・染付けなど、
  微量の鉄分が還元焼成によって発色する“空色”・・・青磁など、
  銅分を含んだ釉薬によって呈色する“緑・青”・・・トルコブルー・織部など、
いろいろですが、土の種類・焼き方などによっても発色が異なってきます。試行錯誤しながら今年は「青」に拘ってみたいと思っています。(2011.1.1)

「青」の染付けをする景徳鎮の陶工→

  


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)