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MEMORANDUM−陶房雑記帳2011年12月

■陶と書(その2)

私の手元に「瑞芳」(ずいほう)と“蝋抜き”で書かれた赤楽茶碗があります。京都伏見稲荷大社の宮司をされていた守屋光春さんの筆跡です。亡くなった父からのものですが、父は生前にご縁があって守屋さんからいただいたと言っておりました。
 守屋光春さんは、神奈川県葉山町森戸大明神の宮司から、1956〜1965年までは葉山町長を務められた後、伏見稲荷大社の宮司として京都に移られた異色の方です。
 茶碗に添えられている説明書きによれば、この茶碗は稲荷大社のある稲荷山から採れた粘土を使って作られたとあります。もともと大社のある伏見区深草のあたりは良質の粘土が採れる場所として知られていたようです。
 私は楽焼の成形・焼成を経験したことがないので調べると、楽焼には釉薬の違いから黒楽・赤楽・白楽などがあるようですが、赤楽は唐土(とうのつち・鉛釉)に長石分を混ぜた半透明の白釉を赤い聚楽土の上にかけ、800〜1000℃くらいの低温で短時間で焼成してつくる、とあります。つまり、この茶碗は焼成前の赤い聚楽土の表面に溶かした蝋(撥水剤)で直接「瑞芳」という字を書き、半透明の釉薬をかけて焼いたということになります。 「瑞芳」の字は、伏見稲荷大社の中の茶席「瑞芳軒」に因んだということですが、「めでたい兆し・めでたい香りがする」というような意味かと思います。
 陶の表面に字を書く手法としては、一般的には、@呉須などの青色顔料や弁柄・鬼板などの黒・茶系顔料を使って素地に書いた後(必要であれば透明系の釉薬をかけて)本焼きする。A撥水剤(又は溶かした蝋など)を使って書き、その上に釉薬をかける。撥水剤をかけた部分が釉薬をはじくので、字が抜けて出る。(これを“蝋抜き”技法といいます。)B成形した半乾きの素地に墨などで字を書きその部分を削る。削った部分に白化粧土などを埋め込み釉薬をかけて本焼きする。この場合は釉薬が削った部分に厚くたまるので化粧土を埋めなくとも字が浮き出てきます。
 相性の良い陶と書、ときどきそのコンビネーションを楽しみたいと思っています。(2011.12.13)


■陶と書

陶には書が似合う、と思っています。書が陶芸作品のイメージをバックアップしてくれると思っています。これまでの個展でも季節の詩や歌の書を飾ったことが何度かあります。
 作品の雰囲気に合うような書(言葉)をギャラリーの壁面に掛けると、作品と調和して全体として作品のイメージを盛り上げてくれます。
 そんなわけで今回の陶芸展でも私の思い入れのある言葉を友人の書道家塩島淳子さんに書いていただき飾りました。塩島さんは私の思いを見事に書に反映してくれました。

 “はるばると砂漠を旅してきた青
 海を渡ってきた青
 青への憧れ
 青への拘り”

 書道の魅力は、一度筆先に墨を含ませて紙に向きあったらもう後戻りできない、一発で書き上げなければならないという緊張感にあるといいます。
 陶芸作品も窯入れして火を点けたらもう後戻りできない、焼き上げて窯出しするまでは火の神様頼り、という緊張感があります。
 緊張感があるという点では書も陶芸も共通点がありますが、よくよく考えると書の中心となる漢字のルーツは中国、そして日本の陶磁器も中国から大きな影響を受けて現在に至っています。書と陶芸が似合うというのは当たり前のことだろうと思います。
 私は今、陶芸の表現手法である「青」に拘っています。今回の個展でもその思いを青い釉薬と青い文字を使って少しは表現できたかなと思っています。
 「青」ははるばると砂漠を旅してペルシャのほうから渡ってきたといわれています。そうであるならペルシャンスタイルの陶器とペルシャ語(あるいはアラビア語?)なども似合うかもしれない。
  次回の個展ではアラビア文字を壁面に飾ろうか・・・こんな突拍子のないことを考えています。(2011.12.13)



■鵠沼画廊

「鵠沼画廊」で一年半ぶりに個展を開催します。(12月中旬ころに「高倉陶房」のホームページ「ギャラリー」の項で出展作などを紹介します。)
 通常、画廊には何となく構えた雰囲気や高級感を出したいという雰囲気があるものですが、鵠沼画廊にはそれがありません。飾り気がなく自然な家庭的な雰囲気が好きなので、1996年に初めてお借りしてから今回で8回目の個展ということになります。
 画廊のご主人田中義和さんは私よりもだいぶ年長ですが、お元気で何よりも日ごろの活動姿勢が若く、おしゃれでダンディーな方です。芸事にも意欲的で65歳になられてからピアノを習い始めておられます。その当時の様子を湘南朝日新聞(2002年12月2日付)の記事から以下引用します。

 “「鵠沼画廊」経営田中義和さんは12月15日、藤沢市民会館でベートーベンのピアノソナタ「月光」を披露する。市内の十時音楽学院第40回記念音楽会での特別出演だ。元八百屋さん、わけあって画廊経営となったが、大病。勧めもあって65歳でピアノを習い始め、今回、大ホールでのデビューとなった。
 「月光」第一楽章は、所要時間6分13秒。通っている藤沢駅南口の音楽教室で練習を始めた。「この年齢で基本などやっているヒマはない」と、ぶっつけ本番の練習。楽譜を拡大して音符にルビをふり、有名ピアニストが弾くCD数枚を買い込み、固くなった頭にたたき込んだ。「若い人の数倍の練習」に励んだ。
 田中さんは、中央大学法学部を卒業し、家業を継ぎ藤沢駅南口で八百屋を営んでいた。駅前開発で「春日ビル」が建ち、今度はその五階で画廊を開いた。学生時代はバレーボール選手で頑健だったが、還暦を過ぎてから体調を崩し、入退院を繰り返していた。
 ピアノを勧めたのは、茶道で知り合い、八百屋のお得意さんでもあった音楽家山田耕作氏の長男耕嗣さんだった。田中さんのレパートリーはギロック「教会の鐘」やバッハ「プレリュード」など。来年は、若かった山田耕作氏が、耕嗣さんと長女美沙子さんのために作曲した「コドモのソナタ」に挑戦する。”

 上記の記事が出てからすでに10年近く経っています。この間、田中さんは再度入院し手術をするなど大病を経験されているのですが、相変わらずお元気です。私は鵠沼画廊に気軽に出入りさせていただき、田中さんが点てたお茶をご馳走になりながらよもやま話をするのを楽しみにしています。(2011.11.27)

         09年の個展で、田中さんと→



神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)