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MEMORANDUM−陶房雑記帳2011年7月

■個性的か?

陶芸でも絵画でも芸事は何でも、見る人が感動するのは、“芸がうまいから”はもちろんですが、“芸を通じてその人が見えるから”ではないかと思っています。
 先日あるデパートの美術画廊で陶芸教室の先生が個展を開いていました。さすが陶芸教室の先生、会場にはいろいろな種類の作品が展示されていました。磁器土を使った染付から色釉を掛けた陶器、そして焼締めまで幅広い製作領域を発表していました。しかし、何を作ってもうまいな!という印象はありましたが、それ以上のものを感じない。技術的には高いのでしょうが何か感じるものがない、要するに総花的なのです。
 何故か?総花的な表現では個性を打ち出しにくいということでしょうか。やはり、作品の印象付けを強くするためには、表現方法を絞って自己主張を強くするべきです。少なくとも展示会をして他人に見てもらう以上は個性を発揮すべきと思います。
 陶芸の場合の個性の表現方法としては、形で示す、デザインで示す、色で示す、焼き方で示す、などいろいろな手段があると思います。しかし、多くの仲間が同じような作品を作っている中で、個性的で見る人触れる人を感動させる、ということは簡単にできることではありません。まずは絞った的に向かって一生懸命にコツコツと努力を積み重ねるということですかね。
 私は歌謡曲が好きなので時々テレビの歌謡ショーなどを見るのですが、歌でもまったく同じであると思っています。上手なだけの歌は聴いていて飽きてしまう、一方、声や歌い方に個性が出ていると“味”があり、“パワー”があり感動する。歌の背景にあるいろいろなドラマを想像したり、自分の若いころを思い出したり、勇気付けられたりする。
 昨年秋に訪問した景徳鎮陶瓷学院の秦錫麟院長は、現代の陶芸家は次の四つの性を必ずもっていなければいけない、と厳しく注文をつけています。
 すなわち、国際性・民族性・地域性、そして個性です。
 景徳鎮で陶芸を勉強して世界に羽ばたく陶芸家になるためには多くの課題をクリアーしなければならないわけです。一流になるということは大変なことですね。
 私も自分の個性をもっと表現するように、自分らしさを打ち出すように、さらに精進したいと思っています。(2011.7.18)
 個性的な水差しなど・笠間にて→


■小代焼

日本全国の主な窯場・陶芸の里はほとんど旅して知っているつもりでしたが、小代焼(しょうだいやき)という焼き物を初めて知りました。
 藤沢三田会アート展で橋村洋一さんが小代焼の茶器を出展されたのです。橋村さんは熊本県の出身で熊本に住んでいたころに小代焼の作品作りを習ったとのことです。橋村さんの作品、茶碗と茶入れを見て最初に感じたのは釉薬の流れと雰囲気が上野(あがの)焼や高取焼に似ているな・・・という印象でした。(上野焼も高取焼も隣の福岡県にあります。)
 さっそく小代焼を調べてみると、小代焼の発祥は、熊本県荒尾市で発見された加藤清正の御用窯、古畑窯跡とされています。
 朝鮮の役(1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵・文禄の役)が終ると、戦国大名たちは朝鮮から帰化した陶工たちに命じてそれぞれの領地に御用窯を開いています。生活雑器等ももちろん焼かれたのでしょうが、やはり当時の主目的は大名や上流階級ではやっていた茶席のための器であったと思います。
 加藤氏の小代焼、毛利氏の萩焼、細川氏の上野焼、黒田氏の高取焼、島津氏の薩摩焼などで、これらの窯はほとんど同じような年代に始まっています。このころの九州は焼き物ブームだったのですね。諸藩の大名たちが競って陶工の引き抜きなどが行われたのかも知れません。
 加藤清正の没後は豊前(福岡県東部から大分県北部)より肥後(熊本県)に移封(国替え)された細川忠利に伴って上野で作陶していた牝小路源七と葛城八左衛門が小岱に窯を開いた、とのことです。やはり上野焼の流れを汲む作風でした。
 小代焼は荒尾市玉名地域にある小岱山で産出される粘土を主原料としているので、小岱焼と書くこともあるようです。
 橋村さん製作の茶器は、藁灰・木灰・長石などを原料とした釉薬ということですが、おそらく鉄分を多く含んでいると思われる茶色の釉流れが見事で、渋く落ち着いた素晴らしい雰囲気に焼きあがっています。
 さすが、御用窯の本場で焼き上げられた茶器という印象でした。熊本の小代焼の窯場に行ってみたくなりました。(2011.7.10)
          小代焼の茶器→


■酒盃の楽しみ

私は日本酒が好きで毎晩食事の前に飲んでいます。飲むといっても酒盃に2-3杯程度ですぐ酔っ払ってしまうのでごく健康的な酒です。今年は東北地方の宮城県や福島県の地酒を積極的に楽しむようにしています。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた福島県浪江町の地酒「磐城壽(いわきことぶき)」が、会津若松の試験場に預けていた酒母が残っていたのでこれを元に復活、という明るいニュースもありました。新生「磐城壽(いわきことぶき)」を味わえる時を楽しみにしている一人です。
 フルーティーな感じの大吟醸酒などにはガラス製品例えば琉球グラスのような素朴なものが似合うと思いますが、地酒にはやはり陶器の酒盃が趣もあり酒の味を引き立ててくれますね。
 日本酒用の酒盃は一般に、“さかずき”とか“ぐい呑み”とか“おちょこ”とか言われています。それぞれの呼び名は厳密には微妙な形の違いがあるのでしょうが、いずれにしても抹茶茶碗のような堅苦しい作法も決まりごともありませんので、陶芸で酒盃を作るのは比較的自由で楽しい作業です。旨い酒を飲むためには・・・と思いながら自分流に作ればいいわけですから・・・。
 電動ろくろの上に砲弾状にした粘土を置いて、回転させながら中心をとって、ひとつの酒盃のために小ぶりな鶏の卵くらいの土取りして、好きな形にひとつずつ挽いてゆきます。自分が飲みたい形のものを作ればいいわけです。
 家の中には思い出多い酒盃がたくさんあります。
 何かの記念に頂いたものから、陶芸家の窯元や個展会場で購入したもの、そして自分の作品もあります。自分の作品はテストピース(釉薬の色実験)として焼くことが多いので、いろいろな種類があります。窯元や個展会場を訪問し、陶芸談義をして、お付き合いで買う場合はたいてい酒盃を買うことにしています。値段が手ごろですし、作品の特徴もわかるし、楽しめるし・・・。
 そのときどきの気分で酒盃を選んでちびちびやっていると、酒の味プラス酒盃にかかわる思い出なども浮かんでくるのでますます味わい深い酒になります。
 今晩はどの酒盃で飲むか、と思うだけで楽しくなります。
 春だったら白い肌に桜の花びらが描いてある京焼、秋には信楽の豪快な雰囲気の焼き締め、冬には熱燗が似合う丹波焼き、そして夏・・・今、私は友達が“深海の青”と言ってくれたトルコブルーの酒盃に、よく冷やした純米酒(大吟醸は高いので特別なときだけです)を注いで楽しんでいます。そしてつまみは“冷やした胡瓜と田舎味噌”が日本酒の個性を楽しむには最高です。(2011.7.10)
        ぐい呑みいろいろ→


■作陶と作句

友人のMTさんが「疾風屋同人」という俳句の会を主催している関係で、勧められて俳句をひねるようになりました。(俳句は作るとか、詠むとか、ひねるとか、いうようだ。)
 俳句をひねるとなると俳号が欲しくなる。共通の友人であるMZさんが既にその同人誌に定期的に発表していて、彼の俳号は「思考停」である。日ごろウイットに富み頭の切れるMZさんが「始皇帝」をもじって「思考停」を名乗るところが面白い。
 しからば私も面白く行こうと思って中国の詩人「陶淵明」に習って「陶延命」にしてみました。陶器作りを通じて長生きをしよう、という意味で付けてみたのですが、どうも「延命」という文字が陰気くさいので「延」を「艶」に変えて「陶艶命」と名乗ることにしました。私の気持ちとしては「陶」作りを中心としてこれからの人生(命)を艶やかに生きよう、というものであり、この俳号が気に入りました。
 しかしながら、俳句は数少ない文字で構成されているため、俳号が出来あがった俳句のイメージを壊すことがあるということに気が付きました。すなわち「艶」という文字から来る印象が俳句を邪魔することがあるのです。このことを主宰するMTさんに相談すると“そのとおりだ、したがってもうひとつの俳号を持てばよい”ということになり、そして考えたもう一つの俳号が「陶風」です。
 かくして私は「陶艶命」と「陶風」というふたつの俳号をもつ駆け出しの俳人になりました。
 とりあえず、これまでに同人誌に発表した陶芸関連の句をふたつ紹介すると・・・

 窯を焚く 竹林の上 月煌々   (陶艶命)

 天青の 器に偲ぶ 西の国    (陶風)

 次の二句は陶芸と関係ありませんが、自分では秀作と思っています。高倉陶房の庭に咲く沙羅双樹(夏つばき)を詠んだ俳句です。

 花落ちて 咲くことを知る 沙羅双樹
             (陶艶命)

 沙羅双樹 咲いて一日 無垢で散る
             (陶艶命)
         
           (2011.7.1)

        高倉陶房の沙羅双樹→



■骨董市のワイン壷

「やまとプロムナード古民具骨董市」にでかけてきました。この骨董市は小田急線大和駅前の東西広場を使って毎月第三土曜日に開催されているもので、200店舗くらいが出展する結構大きな骨董市です。久しぶりに珍しい掘り出し物がないかぶらぶらしました。とは言ってもわが家はむかし集めた骨董や自分の作品などで文字通り家の中がガラクタ市になっていますので、もう新しく骨董を買うつもりは無いのですが・・・。
 衣料品・民具・装飾品・身の回り品・陶磁器など種々雑多の古いものが並べられていますが、少なくとも陶磁器に関しては“これは”というような品物はほとんど見当たりません。“良いものは少なくなってきている”と骨董店の主人たちも言っています。天目風の汚れた茶碗や盃を並べて“宋〜元のもの”といっている店もありましたが、どうやら中国の青空市あたりで安く叩いて仕入れた品物では・・・・と思われるようなものでした。
 混み合う会場を物色していると面白い形の壷に意味不明の文字が書かれているのが目に留まりました。「IECHYD DA」という文字。英語ではなさそうだ。店の親父さんに聞いても分からないという。逆に親父さんが「何に使ったものかな?」と聞くので、私は「壷の形からするとワインなどの酒を入れて下の口から取り出すものではないか」、と答えました。親父さんは私との話が終るとさっそく「ワイン壷8500円」という値札を付けていました。骨董市はこんな気軽なやり取りがあるので面白いと思います。
 家に帰って調べると、「IECHYD DA」とはどうやら英国ウエールズ地方の言葉で「健康・乾杯」というような意味らしい。日本的に訳せば「健康を祝して乾杯」というような意味でしょうか。“イーキッダ”とでも発音するのだろうか?おそらくウエールズ地方の酒場でワインかウイスキーが入っていた壷だろうと思います。それが巡り巡って今日本の骨董市で売られている。この品物はどこをどうして旅してきたのか・・・それを想像することも骨董の魅力のひとつですかね。
 酒は楽しむもの、どこの国でも酒の容器は工夫しているようです。美術品としての陶磁器も良いですが、このように日常雑器として使われた陶磁器を眺めるのもまた美術品とは異なった楽しみがあるものです。
 むかし京都に住んでいたころには毎月21日に東寺の骨董市(弘法さん)、25日に北野天満宮の骨董市(天神さん)が開かれていたので、ときどき仕事をサボって見に行った懐かしい記憶があります。特に東寺は会社のすぐ近くにあったので冷やかし半分で毎月のように出かけました。今、わが家にある骨董のほとんどはそのころに買い求めたものです。(2011.7.1)
        骨董市のワイン壷→


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)