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MEMORANDUM-陶房雑記帳2012年12月

■用の美

何回か公募展で入賞している友人の画家Tさんの作品は猫の顔だけを大きくキャンバスいっぱいに描いて、ともかく迫力があり素晴らしいものです。恐い虎のような猫の顔。Tさんと話していると、“ともかく審査員受け”するように描くのだ、ということです。絵は素晴らしい迫力なのですが、大きなぎらぎらした目の猫の顔、とても居間や食堂に飾りたいと思えるようなものではありません。
 私は絵が好きですが基本的には居間や食堂に飾って何となく穏やかな気持ちになれる作品を、と思っています。
 陶芸も同じことが言えます。先日、台湾の鶯歌という陶芸の町に出かけ、ちょうど鶯歌陶瓷博物館で開催されていた東アジアの陶芸家たちによる現代陶芸展を鑑賞してきました。この現代陶芸展で発表されている作品は大きなオブジエ(造形物)で何を表現しているのかわからないようなものが多く、それらの大作をわが家に置くとなるとさて何処に?と悩んでしまいます。壷や鉢の大作はまだ使い道があるのでしょうが。
 公募展などで入賞する、高い評価を得る、ということは芸事を「業」(なりわい)としてゆく上では大切な課程だと思います。また、美を追求している陶芸家たちの自己表現としてのオブジエ(造形物)は素晴らしいし理解できるのですが、個人的には日常生活の中で使えるものであって欲しいと思っています。
 そんなことで私の美術品を見る基準は簡単です。つまり、使って見て楽しいか、使って見て心休まるか、見て美しいか、そして何か感じるか、ということになります。
 「用の美」ということばがあります。この言葉は、柳宗悦が提唱した民芸運動の要の言葉です。日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の中に「美」を見出す、つまり実用性の中に美しさを求める、ということだと思います。
 作品を見て、何かを感じて、手に取って使って、気軽に楽しめるようなものが私の好みですし、自分の作品もそのような方向を志向したいと思っています。(2012.12.18)


■釉薬の調合

釉薬の調合はデリケート且つ複雑な作業を伴うので、大雑把な性格の私には苦手です。しかし、陶芸をするものの端くれとして、また、何人かの生徒さんに教えるものとして、高倉陶房手作りの釉薬が必要と考え、これまでにいくつか挑戦しました。
 最初に手がけた釉薬は「天然樫灰釉」です。庭の樫の木を剪定してでた枝葉を燃やして灰にして、その灰から作ったものです。山のように詰まれた枝葉を燃やしてできた灰を水簸(すいひ)して、最終的に釉薬にできる灰は本当に一握りです。その後、竹の灰・桑の灰などを試してみましたが同じ条件下で灰を作っても植物の種類によってさまざまな焼き上がりの自然灰釉ができます。
 織部釉や黄瀬戸釉など日本の伝統的な釉薬も調合しました。現在は、トルコ青に挑戦しています。私のトルコ青は、釉流れがしやすいし青色も安定していないのですが、市販のものに比べて個性があり、どこか中近東の街の骨董市の掘り出しものにあるような雰囲気でそれなりに気に入っています。
 自分の釉薬を作るということは自分だけの色調(釉調)をもつということです。 しかし、個人で作る釉薬は手間隙と原料のコストを考えるとかなり高価なものになってしまいます。一方、多くの専門業者が多くの釉薬を販売しています。
                          ↓さるすべりの紅葉
 専門業者の調合した釉薬は決して安くはありませんが、その道の専門家が調合したもので標準的な優等生の釉薬といえます。当然、誰もが使える個性のない釉薬ということになります。
 そこで、標準的な優等生に個性を持たせるために、釉薬のかけ方や厚さ、土の種類、焼き方を工夫することになるわけです。つまり、同じ釉薬でも薄くかけたり、厚くかけたり、粘土を変えたり、焼き方を変えることによってかなりの変化が期待できるわけです。
 そんなわけで最近は手間隙かけて自分の釉薬を作るよりも、市販の釉薬で焼き方を工夫したほうが手っ取り早いかな、と思っています。
 粘土作りから、釉薬、成形、焼成と全部自分でやらないと自分の作品とは言えない、という人もいます。しかし、限られた時間の中でより満足のゆくものを作るためにはある程度の“分業”は許されるもの、と思っています。(2012.12.3)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)