「足柄アートフェスティバル」が2月11日に開幕し3月11日まで一ヶ月間開催されています。このイベントは足柄地方(南足柄市・中井町・大井町・松田町・山北町・開成町)で活躍しているアーティストたちと市民が連携して地域を盛り上げるという目的で開催されているもので、今回が第一回目とのこと。
神奈川県西部のこのあたりは、北に丹沢山系、西に金時山を中心とした足柄山系を仰ぐ自然豊かな神奈川県の“山の手・里山”になります。
“道了さん”として親しまれている曹洞宗の名刹大雄山最乗寺も南足柄市の山中にあります。京都の鞍馬山に似た雰囲気のお寺です。私の好きな陶芸家の一人、浅野陽さん(1923~1997年・元東京藝術大学教授)もこの近くに工房を設けておられました。
このフェスティバルの期間中、藍染め、陶芸、木彫り、木工、ガラス工芸、絵画、書、等々多くのジャンルで催し物があるようですが、私は「足柄焼」を訪問しました。
足柄焼は昭和25(1950)年、現在の地、開成町吉田島地区で杉田栄助さんによって創始されています。杉田さんは板谷波山(1872~1963年)やその弟子であった宮之原謙(1898~1977年)に師事したのち、この地に窯を設け創作活動をされていましたが、残念ながらまだこれからという49歳で早世されてしまったとのことです。
現在は娘さんの波多野安希さんがその技術と志を継いで足柄焼を守り育てておられます。敷地内に設けられたギャラリーで、近くの酒蔵でとれたという甘酒をご馳走になりながら足柄焼について話を伺いました。
波多野さんの作風はお父さんの代からの松灰釉薬の雰囲気を生かしながらも、美大仕込みのしっかりとした造形デザインでどこかモダンな表現になっています。そしてお父さんが師事された板谷波山の風合い(※)も残っています。小柄な女性ですが大作を精力的に製作し毎年日展などに出品し挑戦を続けているという。またお暇なときに伺って陶芸談義を交わしたい陶芸家です。(2012.2.21)
(※)近代陶芸の先駆者ともいわれる板谷波山が開発した「葆光(ほうこう)」という表現方法で、陶の表面に絵付けをした後に、半透明~不透明の艶消し釉薬を掛けることによって、全体をやわらかい雰囲気で焼成する表現手法。波山の作品の最大の特徴になっている。
週に一回は陶房の窓辺においてある一輪挿しに季節の花を生けます。
粘土ぼこりで汚れた陶房ですが、花が片隅にあることによって部屋全体に静謐(せいひつ)な雰囲気を与えてくれるような気がします。一輪の花を生けるだけで何となく気が引き締まりやる気が出てきます。私は茶道に関しては素人ですが、茶席で床の間に花を生ける目的もそんなところにあるのではと思います。
今週は庭に咲きだした肥後つばきを生けてみました。花入れは炭化焼きの徳利で口元がちょっと欠けているのですが、何故か花を生けると活きてきます。
陶の表面に草木花絵を描くことが多いので、出かけたときなど花が生けてあると何となく気になり立ち止まって観賞します。デパートで華道展が開催されていれば覗いてみたり、駅の構内に花が生けてあると立ち止まって観賞します。
レストランや町の食堂などで、さりげなく花が生けてあると店の人のセンスを感じます。作為的に花を飾っているのではなくごく自然に花が生けられているという雰囲気が好きです。
まず花を見て、器を見て、全体のバランスを見ます。器としては素晴らしいがどうも花が活きていない 、逆に器としては面白くないが花を生けたら全体として素晴らしい雰囲気が出ているものもあります。
花と花器とが一体となって存在感のあるもの、つまりやきものとしてもすばらしい花器、そして花を生けることによって花も花器も活きる、というものがいいですね。
華道にも多くの流派・スタイルがあるようですが、盛りだくさんの花を華やかに盛り付ける流派はどうも好きになれません。最近はやりのフラワーアレンジメントの作品は何となく落ち着きがない感じがします。
古典的な華道に古流という流派がありますが、古流生け花の歴史を調べると次のような記載がありました。
“古流の魅力は江戸時代の町人に愛されたように「粋(いき)」を大切にして、さっぱりとしたシンプルな扱いで、潔さを旨としています。”
そうなんだ、伝統的な華道「古流」の基本理念は、「華」でも「花」でもなく、「粋」と「潔さ」だったのだ。何となく納得です。(2012.2.12)
“平安土器に「いろは歌」”という見出しの記事が1月18日の朝日新聞にありました。「いろは歌」が墨書された11世紀後半から12世紀前半(平安時代)に作られたとみられる土器が三重県明和町にある国の史跡「斎宮跡」から出土された、というものです。)
同じ朝日新聞の1月21日の天声人語によれば、“割れて見つかった素焼きの小皿は、女官の一人が「いろは」の練習に使った一枚とみられる”と書かれています。何となくロマンチックな報道で想像するだけでも楽しいですね。多分美しい女官だったと思います。
紙や布や板に書かれた絵や書などはよほど丁寧な保存ができていない限り、時間がたつと劣化して腐るか、熱で灰になってしまいます。しかし、現代の陶磁器類は、ほとんどが1200℃を超える熱に耐えて出来上がっていますので、ちょっとやそっとの環境変化で無くなってしまうというようなことはありません。
平安時代の土器はせいぜい900℃前後で焼かれていると思いますが、それでも1,000年近くよい状態を保っているようです。
1,000年後の自分の作品はどうなっているか?1,000年後に私の作品を発見した人はどう感じるのでしょうか?そのころには日本人の美意識も変わって、私の作品も国宝級の評価を得られるのでしょうか?
しかし、これからの1,000年は自然破壊が進んでコンクリートジャングルの瓦礫の中に埋もれて・・・というようなことになってしまうのではないかと心配です。1,000年後の人たちが私の名作を発見しやすいよう、地球の自然を保ちたいものです。
付記:三重県明和町には私の永年の友人である藤松伸夫さんが住んでいます。そして藤松家の門の表札は高倉陶房で焼いたものを使っていただいています。藤松家の表札も1,000年後にどうなっているか?
以前、訪問したことがあるのですが、今度訪問したときには斎宮跡にお参りしたいと思っています。(2012.1.30)
神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)