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MEMORANDUM-陶房雑記帳2013年12月

■一喜一憂

焼物作りは窯の扉を開けるたびに喜んだり悲しんだり。
 三回の窯焼でまあまあ満足できるのは一回くらい、とすると一喜二憂ということになるのでしょうか。
 もちろん同じ窯焼でも粘土や釉薬の種類・窯の中の場所などによって焼き上がりが異なってくるので、簡単ではないのですが。
 11月の窯焼では思いのほか嬉しいことがあったのでここに記しておきます。
 当ホームページ、陶房雑記帳2013年9月「古代オリエントの土器」の欄で書きましたが、現代版古代オリエント土器の製作を企画して、その第一作を11月に焼きました。その結果、オリエンタルブルーの発色がほぼ期待通りに出たのです。
 今年は春先に竹藪の伐採作業中に転んで肋骨を折ったり、秋口からは腰痛で満足に轆轤にも向かえず、十分な作陶活動ができなかったのですが、嬉しい発色です。
 私のオリエンタルブルーの釉薬はいくつかのデータを参考に、発色剤となる酸化銅に炭酸バリウムや長石、カオリンなどの原材料を調合して自分なりに作成したものです。
 一般にはトルコ系の青い釉薬には白土を使うのがよいとされていますが、私の目標は、青空のような明るい色調ではなく、重厚感のある青(深さ・時代を感じさせるような青)を表現できるようにと思っています。(残念ながら市販の業者が出している青系の釉薬は、綺麗な標準的な青ばかりです。)
 そこで11月度の窯焼では白土に赤土を10%ほど混ぜて焼いてみました。その結果面白い変化・深い青色が出たような気がしています。
 焼物の発色に影響する要素としては、粘土の種類(赤土・白土など成分の違い)、釉薬の種類(鉄分や銅分の含量など)、焼成方法(温度・時間・空気の量など)、など多くの要素があります。
 釉薬の調合は数%の違いで発色が変わってくる作業です。また仮にまったく同じ比率で調合したとしても焼き方によって変わってくる場合もあります。
 私はもともと大雑把な感覚派で、データベースでの緻密な作業が苦手なタイプなので、まだまだ試行錯誤、一喜一憂の状態です。(2013.12.26)

■追悼、富田玉鳳先生

京都、清水焼の富田玉凰(新治)さんが亡くなられたとのこと、奥さんから喪中の葉書をいただきました。
 玉凰さんは京都山科に玉凰陶苑窯を構えて活躍されてきた清水焼の伝統工芸士です。創作陶芸家のことを“作家”と呼ぶことが多いですが、玉凰さんは自らを“作家ではなく職人”といっておられました。分業化によって生産効率を上げ、量産を計るのが主流の業界の中で、轆轤から絵付け、焼成まですべてを自らの手で行うことに拘っていた清水焼の伝統的陶芸職人でした。
 私は40才前後のころ3年間京都に住んでいました。そのころの週末は信楽焼の里を訪問したり、琵琶湖のほとりの水茎焼や奈良の赤膚焼を見学に行ったりしたものですが、なかでも山科の清水焼の里を訪れ玉凰陶苑で新作を見るのが楽しみでした。時には店の奥にある工房で轆轤作業をじっと拝見することもありました。
 サラリーマンだった私が陶芸好きになって自分で窯を持ち作陶を始めるようになった原点には、玉凰さんのような作品表現をしたいという憧れがあったと思っています。
 直接手を取って教えていただいたことはないのですが、お会いするたびにいろいろと勉強になりました。粘土のこと、高台の削り方、釉薬のこと、絵を描くこと、などなど私の素朴で初歩的な質問に丁寧に答えていただいたことが記憶に残ります。今でも私が使っている赤土は玉凰さんに紹介していただいた清水焼の“赤合わせ”という粘土です。
 訪問するたびに気に入った作品をひとつ二つといただいていたので、わが家には玉凰さんのミニ個展を開けるくらいの作品があります。乾山写しの茶碗・三島手の茶碗・草文水差し・唐草文様の手鉢・桜絵付け酒器・山水染付の花瓶・手びねりのコーヒーカップ等々、気に入った楽しいものばかりです。(私が買う作品は気さくな奥さんがいつも安くしてくれました。当時、玉凰さんの作品は京都市内のデパートなどにもありましたが、私は半値くらいでいただいていました。)
 二年前(2011年10月)にお会いしたときには、人工透析を受けているということでちょっと心配していたのですが。残念です。
 玉凰さん、長年にわたる精進、お疲れさまでした。どうぞゆっくりとお休みください。ご指導ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。  合掌
(2013.12.26)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)