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MEMORANDUM-陶房雑記帳2014年10月

■地球市民の会

特定非営利活動法人(NPO)「地球市民友の会」は高倉陶房の近くの臨済宗円覚寺派東勝寺内にあります。
 この会の設立趣旨・目的は、「国籍・性別・年齢・職業等に関係なく同じ地域社会に暮らす人々に対して民間レベルでの国際交流や相互理解に関する事業を行い、地球市民として世界平和と国際親善に貢献するとともに地域社会の発展に寄与する」というものです。
 具体的には東勝寺の近隣に住んでいる南米やアジアの国々から日本に仕事で来ている人たちとその家族(特に子供たち)との交流を図り、「来てよかった日本、住んで良かった湘南」と感じていただけるような活動をしようというものです。
 私も常々近隣の方々との交流と若い人たちへの支援をしたいと思っていたので、この会の趣旨に賛同して入会しているわけです。
 会の活動には、日本語教室、茶道教室、華道教室、夏休みのお寺でのお泊り会、坐禅会、コンサート、年末国際交流会などのいろいろな催しがあります。
 昨年秋に開催されたコンサートでは、ケーナ奏者として有名な中村美子さんの演奏が素晴らしいものでした。ケーナは南米ペルーやボリビアなどが発祥といわれる縦笛で尺八を小さくしたような民族楽器です。日本でも有名な「コンドルは飛んでいく」やインディオの哀歌などが素朴な寂びた音色で演奏され、特に南米から来ている人たちは故郷を思い出してか大喜びで聞き惚れていました。
 今夏のアート展を見に来ていただいた会の代表の黒沢宗剛和尚さん(東勝寺住職)が、私のブルーの古代オリエント風水差しを見て、この色の茶碗で茶を飲むと旨そうだ、と評価してくれました。
 私はさっそくその気になって久しぶりに抹茶茶わんを作って、東勝寺で茶道修業中のHさんに謹呈しました。
 抹茶は緑色、緑の抹茶にブルーの茶碗は合わない、と思っていたのですが、黒とブルーの釉薬を掛け合わせた茶碗、案外、緑の抹茶に合いそうです。
 次回のお茶会は来春になりそうですが、私の茶碗を使ってHさんのお手前でうまい茶をいただこうと思っています。楽しみです。(2014.10.9)

■欠を補うに余りある美

完全無欠なひとは何となく近寄りがたい。ちょっとくらい欠点があるひとのほうが親しみやすく気軽にお付き合いできるものです。
 焼物も同じ。青磁や白磁のように傷や汚れがひとつも無い、完全無欠の美を追求している世界は何となく近寄りがたく、今まではただ作品を見て感心するだけでした。
 陶器(土もの)を作っている私などは、少しくらい焼き上がりの表面に黒いしみが出たり、小さな石や不純物がはねた穴が開いていたりしても、“味がある、風情がある、あばたもえくぼ”、で誤魔化しているのですが、青白磁で完璧な焼き上がりを目標としているプロには許しがたいことのようです。
 神奈川県大磯町で三代続く陶芸家の三代目、川瀬忍さんは青磁を追及している陶芸家で昨年は日本陶磁協会賞金賞を受賞している日本でトップクラスのプロです。
 川瀬さんの工房は私の家からもそう遠くないのでご縁があれば訪問してみたいと思っているのですが、上に書いたような理由で何となく近寄りがたく、ただ画廊などで作品を拝見し感心するだけでした。
 また、川瀬さんのホームページ「川瀬忍の世界」は面白く時々立ち寄って陶芸に関する含蓄のあるエッセイ名文を楽しんでいます。
 そのホームページに最近の「陶説」(日本陶磁協会が発行している月刊の情報誌)に掲載された川瀬さんのエッセイ「欠を補うに余りある美」が掲載されているのです。
 その要旨は、今までは出展作を決める場合、欠点(例えば作品の表面の黒ポッチやピンホールなど)がちょっとでもあると全体の雰囲気が素晴らしくても外して、欠点の無い無難な作品を優先して展示していた。しかし、ある時期から欠点があってもそれを上回るいい面があればその作品を優先するようにした、というもの。その理由は、作家自身が心を省いたり、手を抜いたり、技術が劣っていたりしたものではない。もともと粘土に含まれていた、目に見えなかった「精」ではないか。焼成中に窯の中で天から賜った「精」と解釈した、というもの。
 このエッセイを読んで私は何となく川瀬さんに親しみを感じ会ってみたくなりました。(2014.10.2)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)