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MEMORANDUM-陶房雑記帳2014年11月

■「大名茶人 松平不昧の数寄」を観る

白金の畠山記念館で開催されている「大名茶人 松平不昧の数寄」を観てきました。松平不昧(1751~1818)は、出雲の国松江7代藩主で茶人としても知られているお殿様です。
 畠山記念館は荏原製作所の創立者である畠山一清(1881-1971)を記念して旧寺島宗則伯爵邸跡地に設立された茶器を中心とした美術館です。今回の展示は畠山一清のコレクション展ということになります。
 室町時代の茶入れ、朝鮮時代の井戸茶碗や三島茶碗、江戸時代の備前水差し、中国元の時代の書、などなど「雲州蔵帳の茶道具」として茶人の間では高い評価を受けた由緒ある名品が展示されていました。
 同じ敷地内に「般若苑」という高級料亭があって若いころに仕事で訪問したこともあるのですが、今はなく跡地には白亜の高級マンションが建てられていました。それでも残された敷地は広く境内にいくつかある茶室では大きな茶会が開かれており和服姿の人たちが静々と行き来していました。
 私は家庭で気軽にお茶をいただく器としての茶碗は好きですが、茶道で用いられる茶器となるとちょっと敬遠してしまいます。その理由は茶道具では何かと薀蓄(うんちく)を聞かされることが多く、その背景には経済的に恵まれていないとできないことが多いような気がするからです。実際、数奇者(すきしゃ・すきもの)とか茶人とかいわれている茶の湯に熱心な人たちの多くは大名や事業に成功した裕福な人たちなのです。
 優雅な茶室で高価な茶器を使って茶会が開かれて、床の間には高僧による墨蹟「幸在無一物」なんていう書が掛けられている風景を想像すると、何か矛盾を感じてしまうわけです。
 焼物を作る側からするとあまり感心しない茶碗でも、茶席で薀蓄が付けられると何となく素晴らしい茶碗に感じてしまうこともあります。
 茶の心が禅の心と通じるものがあるとすれば、基本は簡素・質素・自然というようなものでなければならないのですが、私から見ると多くの茶人といわれている人たちが“裕福すぎる人たち”だったということがどうもひっかかるのです。
 私は普通の日常生活の中でごく自然に好みの茶碗でお茶をいただき、至福のときを感じられればそれで十分と思っています。(2014.11.13)


■陶磁器のリサイクル

陶磁器類は大災害などで破壊されるか、不燃ごみとして出されるか、意識的に破壊しない限り半永久的にそのままの形で残ります。そして残された陶磁器類は何百年、何千年後かに誰かの目に触れることになります。
 現に私たちは故宮博物院で約千年前に焼かれた中国青磁を見て感動し、更には二千年以上も前に焼かれ地中に埋もれていた古代オリエント陶器などに感心しているわけです。
 博物館や美術館に飾られている名品と私の作品とは比ぶべくもないのですが、わが家にごろごろ所狭しと置かれている私の作品たちは、好むと好まざるとに拘わらず後世にまで残ってしまう可能性があるわけです。千年後にどこかの骨董市で店先に並んでいる可能性が無くはないわけですから。
 そうとなると後世の人たちに、“誰が創ったものかわからないけれどちょっと面白いな”、と取り上げられたら良いなと思い、心して丁寧に作らなければと気持ちを新たにするわけです。陶芸を始めたころの稚拙な作品でも何となく当時の思い入れがひとつひとつにあり、捨てるのが忍び難く家のどこかに残してあるのですが、明らかに駄作と思われるものは少しずつ処分をしなければと思っている今日この頃です。
 断捨離(だんしゃり)ということですかね。
 こんなことを考えていたら、不用陶磁器のリサイクルが岐阜県土岐市や多治見市で始まっているという話しを聞きました。
               家の中はがらくた市?

 不用になった陶磁器を細かく粉砕して、直径1ミリ以下になるまで粉々にしてから粘土に混ぜて、その粘土から再び新しい陶磁器を創り再生させる、というものです。再生コストがかかるというデメリットに対して、焼成温度を低くすることができるというメリットもあるようです。いったん焼かれた陶磁器はガラス分が多くなり、溶解温度が下がるためだそうです。結果的に二酸化炭素の排出削減にもなるとのこと。
 もともと「陶磁器類は自然にやさしい」といわれていますが、大量生産、大量廃棄のままで良いのか、という発想からリサイクルに取り組む製陶業者や団体も増えているようです。ただ作るだけではなくて、作ったものが将来どうなっていくか、考えなければいけない時代になっています。
 付記:再生陶磁器はインターネットを通じて「Re-食器」で検索すれば通販サイトを見つけることができます。(2014.11.1)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)