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MEMORANDUM-陶房雑記帳2014年3月

■窯焼きマンネリ?

高倉陶房の窯は二基ありますがどちらも燃料は灯油です。(窯の燃料には薪・石炭・重油・ガス・灯油そして電気、という具合にいろいろあります。)
 本焼きの焼成グラフは最初の窯焼きからすべて記録し保存してあります。改めて数えてみるとこれまでに1987年1月に設置した一号窯で145回、2001年12月設置の二号窯で139回(2014年2月末現在)、累計で284回の本焼きをしています。
 二号窯を入れてから一号窯はもっぱら750~800℃くらいの素焼きと上絵焼成に使っているので、これも含めると一号窯は400回くらい焼いていることになります。何回かモーターやバーナーの修理をしていますが長寿の優れものです。
 最近では窯の癖も心得て、粘土の種類や釉薬による窯焼きの対応も何となく無難にこなしているのですが、どうも経験に頼って惰性で窯炊きをしている、何となくマンネリ感があります。
 マンネリ打破のためにはまず初心に戻る、というわけで窯焼きを始めたころに読んだ「陶芸の土と窯焼き」(大西政太郎著・理工学社)を読み直しています。大西さんは1921年生まれの陶芸家で京都を中心として活躍、主に指導者として有名な方です。
           高倉陶房の窯小屋
 この本は私にとっては教科書のひとつで、還元焼成、酸化焼成、温度調整、温度や時間による粘土の変化等々、多くの実験や実経験に基づいた微妙な技の妙が随所に記されています。
 最初は何となく興味本位で読んでいた部分も、いま改めて読み返すと実経験に基づいてなるほどと納得させられるような箇所がいくつかあります。
 温度を上げて900~950℃くらいまで焙る、そして950℃くらいから本焼き体制に入る。本焼きの段階で作品の表情がほぼ決まるので1000℃を超えるくらいからは結構神経を使う作業になります。覗き穴からの炎の出具合、窯の中の色、煙突からの煙の出具合、温度計の上り下がりなどをみながら調節してゆきます。
 多くの経験に基づいた陶芸家が残した教科書を読むと、“窯がどういう状態の時に、どういう作業に神経を使わなければならないか”、ということに気づきマンネリ打破になるのでは、と期待しています。(2014.3.17)


■京橋骨董通りぶらり

旧友たちと月島でもんじゃ焼きを食べる会があってでかけたのですが、もんじゃ焼きを食べるためだけに片道二時間近くをかけて出かけるのももったいない。
 ちょっと早めに出て京橋の骨董通りをぶらり散歩しました。地下鉄日本橋駅で降りて銀座に抜ける中央通りと昭和通りに挟まれた道を歩くと、骨董店や画廊がひっそりと並んでいます。日本橋・京橋界隈だけで30軒近い美術商・骨董商の店があるとのこと。言わばマニアックな通りです。
 何軒か立ち寄って展示品を鑑賞しながらご主人と話をした中で楽しかった店をここに記録しておきます。

 「Gallery MARI」
 ショウウインドウにある古代ギリシャの壺が面白いので店内に入ったらトルコの古い水差しなどが並んでいる。装身具のようなものもある。オリエント古美術が専門の店です。
 古い水差しの形が面白いのでご主人の許可を得て写真に収めました。水差しではなくてワインかビールが入っていたのでないか、なんて想像して楽しいひと時でした。古代オリエントの美術品は造形的にも見ていて楽しいし、そのものが使われていた時代や使っていた人たちに思いをはせるだけでロマンを感じます。

 「骨董の店 甲斐」
 昨年12月に33年間骨董店を開いてきた青山骨董通りからこの地に移転したばかりとのこと。中国・鈞窯の古い鉢が印象的でした。赤土を使った還元焼きで青紫と赤の窯変が面白い。その他唐津の草文鉢や孫文の書「友愛」など。
 家に戻ってさっそくいただいた名刺からこの店のご主人のブログを開いたらこれが又面白い。話題はお釈迦様から孔子・荀子等々の教え、更には呼吸法と健康に至るまで触れられ勉強家・博識のご主人は文章も読んで楽しく勉強になります。

 「魯卿あん」
魯山人が大正年代に開いたといわれる古美術の店「大雅堂」の跡地にある店です。店の名前は「魯卿あん」(ろけいあん)。魯山人がこの場所で「大雅堂」を開店したころ名乗っていた号に因んでいるとのこと。黒田陶苑(渋谷)の別店である。店内は魯山人の書や陶が中心。

 以上、良いもの・美しいもの、にしっかりした審美眼をもっておられる方々との会話は、こちらも鍛えられ楽しいひと時となりました。(2014.3.10)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)