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MEMORANDUM-陶房雑記帳2015年2月

■陳舜臣さん逝く

1月21日に作家の陳舜臣さんが亡くなりました。享年90歳。
 著書によれば、1924年に台湾出身の貿易商の二男として神戸で生まれ神戸育ち。ご先祖はもともと中国後漢の陳寔の末裔で、河南省頴川から福建省泉州へと移りさらに台湾に移住しているとのこと。
 中国の歴史と文化に係る小説・評論・随筆等が多く日中の架け橋として活躍した文化人です。私は陳舜臣さんに会ったこともなく姿をテレビや雑誌で拝見した程度なのですが、作品は好きでいつも私の行動の近いところにいた作家です。私が興味を持っていることを調べようとすると必ずそこには陳舜臣さんの著作があった、という具合です。
 例えば、「シルクロード悠々」。シルクロードに関わる歴史や宗教、風土、三蔵法師の旅などを織り交ぜながら編集された紀行文集で何度読んでも興味は尽きない一冊です。巻頭の「シルクロードへの道」は戦後まだ自由に中国旅行ができない頃に初めて発表されたシルクロード紀行文とのこと。
 「青玉獅子香炉」は、香炉をテーマに作陶を始めた時に何か参考になるかと思い興味深く読んだものです。翡翠(青玉)の加工彫刻の名工といわれた男が、中国最後の皇帝 溥儀が所有していたといわれる香炉と全く同じものを作って欲しいと頼まれる・・・ちょっとミステリー風の短編小説です。
 そして何よりも「景徳鎮の旅」。
 私は2010年10月に景徳鎮への一人旅をしたのですが、その前には陳舜臣さんの紀行文「景徳鎮の旅」を何度も読み返してから出かけました。そして実際に自分で景徳鎮の街や陶芸工房を歩いて本に書かれていたのはこのことだ、と実感することがいくつかありました。更に帰国してからもう一度読み直し、作者の観察眼の確かさに感心したものでした。
                景徳鎮市内の公園

 残念なことは同時代に活躍した司馬遼太郎は国民的人気作家といわれているのに対して陳さんの日本における人気はいまひとつ。最近では本屋の店頭に陳さんの作品はほとんど並んでいない。著作リストを見ると読みたいと思うタイトルが多いのに、ちょっと立ち読みして手に入れるということができない。
しかし、本が売れようと売れまいと陳さんは今ごろにこにこと笑みを浮かべながらシルクロードの草原をのんびり散歩中だろう。謝謝。(2015.2.22)

■古代メソポタミア土器物語

古代オリエント博物館の研究員 下釜和也さんの講演「古代メソポタミア土器物語-青銅器時代テル・ルメイラ遺跡に暮らした人々を探る-」を聴講してきました。(1月24日・古代オリエント博物館)
 古代オリエント土器の再現を製作テーマの一つにしている私にとっては、情報収集とアイデアを探る格好の機会です。以下、主な情報。

 *古代メソポタミア土器の製作は北メソポタミアのどこかで紀元前7000年くらいに始まったと思われる。現代までに9000年の歴史がある。
 *土器以前にも、日干し煉瓦(前10000年ころ)や土偶(前9000年ころ)が創られていた。
 *土器の役割は今も昔も変わらない。①煮炊き、②保存、③運搬、④装飾、⑤祭祀、である。
 *1974年~1980年にかけて日本の発掘隊が担当したテル・ルメイラ遺跡は小さな村だったにもかかわらず、場違いな石像の断片やビーズ類が発掘されている。周辺地域との交流が盛んだったことを推測させる。
 *前6000年~5000年くらいには土器焼成窯が構築されている。共同窯だったと思われる。
 *前4000年~3000年ころには轆轤作業が始まっている。このころのものと思われる轆轤の軸石が残っている。
 *前1600年~800年ころには施釉土器が出現している。このころ石英の粉(フリット)を施釉した土器が発掘されている。
           土器の説明をする下釜さん

 私は日頃から思っていることをひとつだけ質問しました。
“このころの男たちは農耕と遊牧で忙しかったはずなので、土器の製作は女性の役割だったのでは?”
 講師の下釜さんの回答は、そこまではわからない、ただ明らかに女性らしい作品があることも事実、ということでした。
 講演の中で下釜さんが撮影したアレッポ(シリア)の土器屋が紹介されました。素焼きの土器が道端にまであふれるように陳列されている街角の風景。
 数年前にシリアの内戦では日本人ジャーナリストが銃弾の犠牲になり、最近ではイスラム国などの過激派組織がこの辺りに暗躍しているようですが、早く平和になってこの辺りをぶらぶら歩いて街角の土器屋さんを覗いてみたい。
 そんな旅心をそそられる楽しい講演でした。(2015.2.6)

神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)