尾形乾山、(1663年~1743年)は私の好きな陶芸家の一人です。乾山の本物はとても持つことができないので、 “乾山写し”の茶碗や花器をいくつか持っています。「写し」はすべて京都の伝統工芸士・富田玉凰さんによるものです。(乾山の作品は「写し」が多いことでも知られています。「写し」だけなら良いのですが、乾山が晩年栃木県佐野で焼いたと言われている作品は「佐野乾山」という真贋事件にまで発展しています。)
六本木のサントリー美術館で開催されている「着想のマエストロ・乾山」展を観てきました。
年表によると、乾山は絵師 尾形光琳の弟として京都の裕福な呉服商の家に生まれ、若いころに野々村仁清に作陶を学び、30代で京都の北西鳴滝泉谷に乾山窯を築いて独立しています。
時はまさに元禄時代の真っ只中。この時代に生きた乾山には風流な上流社会の人々に使われるような作品が多いようです、しかし師匠であった仁清の色絵よりも色彩を抑え華やかさを抑えているのが乾山の特徴になっています。また会席用の器や茶道具、日常使う茶碗・鉢・角皿・香炉など小ぶりな作品が多く大きな作品は比較的少ないようです。
今回の展示では、陶芸家としての乾山の若い時代から老年期までの作品を年代順に追った展示になっていました。
興味深かったのは、京焼の伝統を踏まえながらも新しい境地を開こうと乾山が模索している様子がうかがえたことです。
例えば、オランダの草花紋やベトナム安南の文様、更には景徳鎮の唐草紋など海外の陶磁器にも積極的に目を向けてその写しに挑戦している。
私の乾山写し→
元禄時代の町民文化の中では陶磁器の需要も多くなって、競争も激しかったと思われます。単に京焼の伝統に縛られないで“乾山らしさ”を打ち出して、ビジネスとしても勝ち抜いてゆくためには創意工夫・斬新なアイデアが必要だったのでしょう。
成型した焼物に花鳥風月や山水を描く・文様を描く・文字を書く・・・等々紙に描くように表現している。“乾山は焼き物に絵を描くのではなく絵そのものを焼き物にしてしまう”、という評価もあるくらいです。
乾山のそのような姿勢・創意工夫が、後世に残る乾山風となり、今、着想のマエストロ、とも言われるようになった所以と思います。(2015.7.19)
太鼓芸能集団「鼓童」の演奏を聴いてきました。
「鼓童」は和太鼓を中心として演奏活動をしているグループです。一年の三分の一を本拠地のある佐渡島で、三分の一を国内演奏会で、残る三分の一を海外で、という国内外で活躍している太鼓の演奏家グループです。
今回の出演者はパンフレットによれば18名(うち女性2名)。幕が開いて演奏が始まり休憩を挟んで約2時間太鼓が響き続ける。ソロで、そして連打で。静かに、そして激しく。太鼓は耳で聴くというよりも身体で受け止めるという感じですかね。(監督・演出は坂東玉三郎。正確には50種を超える楽器が使われているとのことですが、やはり中心は大中小の太鼓です。)
演奏が終わると太鼓をたたいていた男たちは黙って舞台裏へ下がる。演奏家による挨拶やトークなどは一切なし。音だけを聞いてくれ、と言わんばかりに立ち去る。
最近何かと余計な能書きや修飾語が多い(政治家の国会答弁や野次も含めて!)と感じている私にとっては、爽やかなあと味の良い演奏会でした。
例えば、歌手のコンサート。
観客は歌を聞きたいはずなのに、歌手のトークばかりが長く、トークそのものは面白いのですが、歌手だったらあまりしゃべってばかりいないで歌を聞かせろよ、と言いたくなる時があります。
例えば、美術展。
製作背景や苦労話し・製作者の独りよがりな思い入れなどを観る者に押し付けるように作品の横に書いて並べる場合がありますが、私はあまり好きではありません。(教育的な展示や博物館などではどうしても作品の解説が必要な場合もあるのでしょうが。)
ただ出来上がった作品だけを展示して余分な装飾や言葉は添えない。
力を尽くして製作したのち、どう感じるかは観る人のイマジネイションにお任せする、という展示スタイルを私は好みます。
黙ってそこに置いておくだけで何かを感じてもらえるような、存在感のある作品を作りたいと思っています。(2015.7.5)
神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)