「ペルシャン織部」という言葉は私の造語です。
陶芸家の加藤卓男さん(故人・1917~2005年・人間国宝)は、伝統的な美濃焼の振興に尽力される一方、古代ペルシャ陶器の研究者としても知られ、自らラスター彩や三彩・青釉などのオリエント風の素晴らしい重量感のある作品を製作し発表されています。
その昔、多治見市市之倉にある幸兵衛窯を訪問した時に、お元気なころの加藤さんにお目にかかったことがあり、ラスター彩焼成用の小ぶりの窯を見せていただいた記憶があります。
加藤卓男さんの書「シルクロード歴程」の中に、安土桃山時代に日本の美濃地方で作られるようになった織部焼のルーツはペルシャにあるのではないか、と推察するくだりがあります。また、その推察はイランの砂漠の中でまるで織部焼とみまごうばかりの陶片を多数採集したことによって確信に変わったという記載があります。
そして日本の織部焼のデザインは、ペルシャ陶器がオスマントルコのイスラーム商人らによってインド洋からマラッカ海峡へと続く海のシルクロードを渡ってベトナムにもたらされ、ベトナムの陶工たちによって再現され、更にベトナムから日本に渡ってきたことに影響されているのではないか、とあります。
当時の日本における大阪堺、長崎、博多などの南蛮貿易の中心地では、町衆の間でペルシャ陶器の意匠を応用したベトナム陶工たちの作品を手に入れ、生活用品や茶道具等に使用していたということは、ごく自然のことと思われます。
そして茶人としても知られる武将古田織部らの指導によって、当時の南蛮趣味のデザインを美濃の窯に発注し創作されたのが織部焼ということになります。
日本独自のそして日本の代表的な焼き物の一つともいえる織部焼の誕生です。
私は日本で織部焼として発達した焼き物のルーツを探りながら自分なりの“ペルシャン織部”を創ってみたいと思っているわけです。
つる草や幾何学文様などのペルシャ風な文様とペルシャンブルーや黒を陶器のデザインに用いることによって、日本的な織部焼とはちょっと雰囲気の異なるペルシャン織部ができるのでは、と考えています。(2016.11.29)
数年前から断捨離という言葉をよく見聞きするようになりました。
調べると断捨離とは、ヨガの「断行(だんぎょう)」・「捨行(しゃぎょう)」・「離行(りぎょう)」という教えから派生した言葉のようです。
つまり、「必要のないもの断ち、捨てて、執着することから離れる」という意味を表す整理法であり、断捨離を実践することにより身軽で快適な人生を手に入れようという生活術・処世術のことだそうです。
わが家、わが陶房、わが庭には推計約200点の大小作品が放置されています。庭にある瓶や花瓶などは庭木とも調和して何となく風情もあり自然でよいのですが、雨が降れば水がたまり夏にはボウフラの温床となります。そして家の中はガラクタ市又はせともの屋。部屋の中を整理してお気に入りの数点だけを飾ったらすっきりと洒落たギャラリーになるだろうと思うのですが・・・。
200点のうち自分らしさが表現されて何とか気に入っている作品、つまり他人に見ていただきたいと思える作品は約1割、20点くらいのものです。(実際20点の大部分は個展やグループ展の残りものです。)従ってほとんどの作品は不燃ごみとして処分しなければと思うこともあるのですが、何となく捨てがたく居残っています。
一流の陶芸家は、窯から出して気に入らない作品はその場で割ってしまう、という話をよく聞きますが、私のような発展途上(?)の道楽陶芸家にとっては、どんな作品も大切にしたい、という気持ちです。
処分しないで居残っている最大の理由は、それらがすべて私にとってはテストピース(形見本・色見本)で、何かの時に参考になるのでは、とわずかな期待をもって捨てずにいるからです。
とはいうものの、そろそろ私も断捨離を実行に移さなければと思っている今日この頃です。断捨離を実行して陶芸道に新しい境地を開けるのか?悩ましいことです。(2016.11.10)
神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)