本文へスキップ


MEMORANDUM-陶房雑記帳2016年2月

■粘土も女房も巡り合い

高倉陶房では粘土を一定の種類に固定して作陶しています。
 具体的には白系の粘土(白土)と赤系の粘土(赤土)とを一定にして、通常は白土と赤土を五分五分で練り合わせ、作品によって(釉薬によって)白土の配合比率を多くしたり赤土を多くしたり、というものです。
 同じ日本の国土から出た粘土ですが、産地によって驚くほど焼き上がりの変化が異なるのです。なぜ、同じでないのか?それは一言でいえばその土地によって粘土に含まれる化学(鉱物)成分や有機成分が異なるからです。従って、日本では古くから備前焼・萩焼・常滑焼・美濃焼などの表情の異なった焼き物が生まれたわけです。
 粘土を変えると予期しなかった変化が出ることもあり、その変化が焼き物創りの大きな魅力でもあります。
 一方、その変化は、【粘土の変化×焼成方法による変化×釉薬による変化・・・】となり、おそらく数えきれないほどの天文学的な変化となるわけです。
 粘土を一定にしても焼き上がりの変化に影響を与える要素としては、焼成方法(酸化焼き・還元焼き・焼成時間・焼成温度、など)や釉薬の違いなどがあります。
 従って、私のような非科学的・感覚的人間にとっては、せめて粘土だけでも一定にしておかないと窯焼の変化・焼き上がりの予測がますます難しくなってしまう、というわけです。
 というわけで高倉陶房では特別な場合を除いて粘土の種類は一定にしています。
 粘土は私にとっては生涯でめぐり合った女房みたいなもの(女房に怒られるかもしれませんが!)と思っています。つまり、他にもっと良い粘土、面白い粘土があるかもしれませんが、一定の粘土の範囲で、釉薬や焼成方法を変化させて、なるべく計画通りの作品を焼き上げていきたい、ということになります。(2016.3.1)


■前衛はわからない!

ドキュメンタリー映画「華 いのち 中川幸夫」を観てきました。この映画の企画・製作・監督を担当した谷光章さんは、私と高校・大学が同門で私の二年後輩です。
 実は、谷光さんからこの映画の上映案内をいただいて初めて、“中川幸夫”という“生け花作家”の名前を知りました。映画は中川幸夫の生い立ちから始まって、生け花に向かう姿勢、活動を丹念に綴った興味深いもので、全編を通じて谷光さんの中川幸夫に対する敬愛と優しさを感じるものでした。
 中川幸夫の作品は;
ぐちゃぐちゃに潰され固められ大きなステーキ肉のようになったチューリップの花を棕櫚縄でくくったもの。
エロチックなガラスの器に赤いカーネーションの花をぎゅうぎゅうに詰め込んで腐敗させ、その花液が流れ出たもの。
萩焼の伝統を破って前衛陶芸に挑戦している三輪休雪(十二代)が製作したハイヒールに生けられたグロテスクな仏手柑。
前衛舞踊家の大野一雄が踊る地上にヘリコプターを使って上空から百万枚といわれるチューリップの花びらが舞い降りてくるもの。
などなど、想像を超える創造に挑み続けた、と言われるようなものばかり。
 中川幸夫は“前衛”ということばを嫌って“生け花作家”と名乗っていたということですが、私のような凡人から見ればまさに「前衛」的な作品なのです。
 映画の中で、「器は身体、花は心・精神」というような表現がありました。
 私はこれまでに前衛絵画や前衛書などをいろいろ観てきましたが、今、谷光さんの映画を観て、前衛作品は無理にわかろうとしなくてもよいのだろう、という気持ちになっています。まさに前衛作品は作者の心・精神を発散させ表現した結果のものでしょうから。
 前衛作品を観て、素晴らしい、と思う人もいれば、気持ち悪い、と思う人もいる。私はどちらかというと中川幸夫の生け花を観て心地よく感じる人間ではありません。
 しかし、一つの道を追及している人には魅力があり、自分の内なるものを表現しようと集中している人間の姿に美しいものを感じた映画鑑賞でした。(2016.2.9)

神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)