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MEMORANDUM-陶房雑記帳2017年2月

■春は近い

立春が過ぎても相変わらず寒い日が続いていますが、高倉陶房の庭には着実に春が近づいています。
 畑だった隣地には分譲住宅が建ちつつあります。当初は老人ホームが建設される計画だったのですが、地主と業者の都合で宅地として分譲されることになったものです。
 昨年末に宅地造成が完了して、即16区画の分譲販売が始まりました。2月中旬現在13区画が売約済みで既に5区画で住宅建築が始まっています。
 陶房の窓ごしに金槌の音、電動工具の音、資材を運ぶトラックの音などが聞こえ、春の光とともに活気を感じるようになりました。
 庭の紅白梅は7分咲です。わが庭の梅は竹藪によって半日陰になる場所に植えてありますのでやや開花が遅いようです。
 椿は種類によって秋咲きから春咲きまでと開花の時期が異なるのですが、現在10種類くらいが咲いています。桃色侘助や岩根絞り椿はいま満開で、メジロとヒヨドリが花の蜜を争って椿の茂みに見え隠れしています。
 白木蓮やこぶしの花芽が心なしか膨らんできたような気がします。
 正月中に咲いていた和水仙は終わって、ラッパ水仙の芽が凍った土の中から少しずつ大きくなってきました。鮮やかな黄金色の花が楽しみです。
 そして何よりも竹藪に刺す陽の光が何となく明るく暖かくなってきました。地中では竹の子が少しずつ確実に大きくなっているはずです。竹の子の本格的なシーズンは4月ですが、この時季ときどき庭作業中にまだ地上に出ない小さな竹の子を収穫することがあります。そんな時には輪切りにしてみそ汁やお吸い物にして早春の味を楽しみます。
 数日前に庭の片隅でモグラ塚(モグラが掘り起こした小さな土の塚)を発見しました。春が待ち遠しいせっかちモグラの仕業か、それとも隣地の建築工事がうるさくてうかうか冬眠どころはなくなったのかも。
 春は近い。6月に予定されているアート展への出展にむけて、腰痛を気にしながら作陶活動をしている早春の日々です。(2017.2.27)


■コーヒーはカップを選ばない

私の若いころ昭和時代にはジョンウエインやヘンリーフォンダなどが活躍した西部劇をよく見たものです。そして野宿するカーボーイたちが金属製のアルミカップでコーヒーを飲む場面は、どの西部劇を見ても必ずと言ってよいほど見かけたものです。
 最近、ドトールやスターバックスで出されるコーヒーはほとんど白いぽってりとしたカップを使っていることが多いようですが、琥珀色のコーヒーが白い清潔な容器に映えて美味しく味わえるということを狙っているのでしょう。
 お茶(日本茶・中国茶・紅茶など)は味わうための容器が限られているのですが、コーヒーは基本的にどんな容器でも楽しく味わうことができる飲み物です。
 信楽の豪快な焼締め自然釉のカップでも、越前焼や備前焼の渋いカップでも、繊細な有田の磁器絵カップでも、美濃の織部焼デザインカップでも、小さな花模様が美しいイタリア・ジノリのカップでも、ちょっとぶった感じのイギリス・ロイヤルアルバートのカップでも、コーヒーはどんな器にもマッチしてしまう全地球的な飲み物なのです。
 蜻蛉の絵を描いた安南焼のカップで薫り高いベトナムコーヒーを味わうなんていうのも洒落ています。(安南焼はベトナム北部のバッチャン村で焼かれている。)
 厚木市内にあるギャラリー喫茶「なよたけ」は陶芸家の小高嘉照さんがオーナーの店ですが、カウンターの向こう側にずらりと並んでいる好みの器(小高さんのコレクション)でコーヒーをいただけるようになっています。私はときどき「なよたけ」で小高さんと陶芸談義をするのですが、いつも益子焼の島岡達三さん(1919-2007・人間国宝)の民芸調のカップ&ソーサーでコーヒーをいただいています。
 つまり、コーヒーはカップを選ばない、コーヒーはどんなカップでも何となく似合ってしまうのです。
 一方、コーヒーと異なって繊細で気難しい(?)お茶はカップを選ぶ!
 なぜお茶はカップを選ぶのか?お茶の器に関してはもう少し勉強して、またこの欄で書いてみたいと思います。(2017.2.1)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)