本文へスキップ


MEMORANDUM-陶房雑記帳2017年6月

■意外な小道具

陶芸の小道具にもいろいろあり、専門的な業者に行けば何でもそろうようになっています。しかし、誰でもが使っている小道具以外に役立っている意外な小道具があるものです。
 有名なところでは、九州の小鹿田焼に使われる飛び鉋(かんな)。飛び鉋とは工具の刃先を使って連続した削り目を付ける小鹿田焼の代表的な技法です。その小鹿田焼の飛び鉋文様を創り出す意外な小道具が、昔の柱時計などに使われていた反発性のよい丸まったゼンマイなのです。ゼンマイを伸ばして、刃先を削ったものが飛び鉋文様を削る工具となっているわけです。
 京都清水焼の富田玉凰さん(故人・伝統工芸士)は、茶わんの高台を削るのに割れた陶器の破片が一番、と言っておられました。いくつか手元にある玉鳳さんの茶わんを改めて眺めると、高台を切った後に“ざっくり感”、があり“土味”もよくわかり、一流陶工の技が伝わってきます。その昔、富田さんから教えられて、私も自分で陶片を使って試してみたのですがどうもうまく削れなかった、という思いあります。

                 小鹿田焼の飛び鉋文様

 さて私の意外な小道具No.1は、グレープフルーツの実を皮から剥がす時に使うナイフ。このナイフは、普通の果物ナイフよりも先端がちょっと尖って湾曲しているのですが、釉薬を掛けた後で特に厚めにかかった部分を微妙に調節するときの削りに最適です。茶わんやぐい呑みに釉薬を掛けて指先の痕を残したくない場合など、指痕に筆で釉薬を塗ってこのナイフで調整します。
 そして、N0.2は、焼き鳥用の竹串。
 焼き鳥用の竹串は先端のとがった部分を少し丸くしたものなど常に何本か用意してあり重宝しています。粘土の表面に線を刻んだり、粘土の細かい部分の接続作業(例えば、コーヒーカップに把手を付ける作業など)に大いに役立っています。(2017.6.23)



■飽飾の時代

ひところ「飽食の時代」という言葉を新聞やテレビでよく見ましたが、最近はあまり見かけなくなっています。しかし、日本ではまだまだ飽食の時代が続いているようです。多くの日本人が飽食に慣れっこになってしまっているので、あまりマスコミなどでも取り上げられなくなっているのだと思います。
 テレビのスイッチを入れると食べ物やグルメ番組ばかり、スーパーやデパートの地下に行けば食べたいものは何でもそろっている!というようなことが当たり前の世の中になっています。
 地球のどこかではその日のパンとミルクさえ満足に食べられない人たちがいるというのに、まさに日本は堂々たる飽食の国であると思います。
 しかし、ここで言いたいのは、「飽食」でなく「飽飾」です。
 つまり飾り過ぎ。
 電車に乗っても、街を歩いても、色彩豊かな広告宣伝ポスターなどに満ち溢れ、われわれの目と心はどうも飾り過ぎに慣れてしまっているのではないかと思います。先日久しぶりに東京駅を歩いたのですが駅構内も隣接する商店街なども全体がごみごみと飾られ案内表示や広告も当然多く、何とも華やかで派手で落ち着けない!
 田舎の風景や山や海を眺め、昔ながらの木造民家や茶室などに入って落ち着くことができるのは、余計なものがなく自然のままで装飾が抑えてあるからではないかと思います。
 白磁、青磁、楽茶碗、朝鮮半島で焼かれた井戸茶碗、自然釉の焼き締め陶、などの優品は基本的に意図的な装飾は何もしていないのですが、見る人を引き付ける何かを持っています。
 一方、下絵具・上絵具で色彩豊かに装飾を施した色絵磁器でも、ただ作者の好みを押し付けられているようで魅力を感じないものもあります。
 私は陶に絵や文様を描くことが多いのですが、描き過ぎない、飾り過ぎない、ということにいつも気を配るようにしています。飾らない部分を残して見る人の想像力を引き出したいからです。
 コンポートに空を舞う天女を描いてみました。絵としてはバランスよくかけたと思っているのですが、陶芸作品としてはどうも・・・飾り過ぎかな?(2017.6.12)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)