東京駒場にある日本民芸館創設80周年記念「民芸の日本展」が、今夏8月に東京日本橋の高島屋で開催され見てきました。この記念展は9月には会場を横浜に移し、更に秋にかけて大阪、京都、名古屋を巡回するとのことです。
駒場の日本民芸館は何回か訪問しているので、多くの所蔵品を再訪するつもりで出かけたのですが、今回の記念展では北海道から沖縄に至る日本列島各所の民芸館の所蔵品が出展されており、初対面の作品も多くあり壮観でした。
日本という小さな島国の中で伝統的に多くの素晴らしい手仕事が発達してきたことに驚きます。陶芸品に限らず、木工・竹工・織物・染物・漆などなどさまざまな民芸品が見られ楽しいものでした。
庶民の暮らしを彩ってきた民芸品には、育まれた土地・土地の豊かな造形感覚と鍛えられた職人たちによって生み出された飾り気のない美意識を感じます。つまり民芸運動の創始者である柳宗悦(やなぎむねよし、1889-1961)が提唱した「用の美」を感じるわけです。
展示されているすべての作品は間違いなく“賞を取ろう”とか“高い評価を得よう”というような作家の欲で作成されたものではありません。只々、良いものを作ろう、使い易いものを作ろう、心地よいものを作ろう、という職人たちの意地の産物であろう、と私は思っています。
茶道で言われている「侘び・寂び」の背景にはどうも作為が感じられてあまり好きになれないのですが、優れた民芸品には「侘び・寂び」とは異なる人々の生活につながる温かさや自然で純粋・素朴な心を感じることができ好きです。
その昔、朝鮮の熟練陶工たちによって日常雑記として焼かれた茶碗も、そのまま使えば素晴らしい民芸品ですが、日本の茶人たちによって井戸茶碗という名前を与えられ茶席で珍重されたりすると、どうも“作られた美”を感じてしまうのです。考え過ぎかしら?(2017.9.22)
陶芸仲間のHさんが実をたくさんつけた“ほおずき”を持ってきてくれました。庭にたくさん植えてあるのだそうです。絵になりそうなので、さっそく素焼きが終わった鉢に描くことにしました。
描く前に対象物のことをよく知らなければと思い、“ほおずき”は漢字でどう書くのか調べたところ、“酸漿”という文字と“鬼灯”という文字が出てきました。酸漿という言葉はこの植物の根と地下茎が酸漿根(さんしょうこん)という生薬の原料になるところからきているようです。
何となく“酸漿”よりも“鬼灯”のほうが趣のある文字なのでここでは鬼灯という文字を使うことにします。
鬼灯の下絵(本焼き前)→
鬼灯の花は淡い黄白色で小さく、葉をよくかき分けて覗かないと見落としてしまうようなのですが、実(み)は立派で堂々としています。最初は緑色の小さな実ですが少しずつ大きくなって最後は鮮やかなオレンジ色になります。
鬼灯の丸い果実を包んでいるオレンジ色の袋の部分はガクが発達したものだそうです。
鬼灯は死者の霊を導く提灯に見立ててお盆のお花(実)としてもよく飾られ、子供のころお盆飾りに鬼灯が使われていたことを懐かしく思い出します。盂蘭盆会にご先祖さまが彼岸(あの世)から帰ってくる際の灯りとして、鬼灯を飾る習慣が古くからあるわけです。
鬼灯の原産国は東南アジアということなので東南アジアの国々でも先祖を祀るようなときに同じような風習があるのかしら?機会があったら調べてみたいと思います。
実を包んでいる袋の部分も、枝の節の部分も、葉の部分も全体的にゴツゴツ感があり比較的描きやすいと思っているのですが、オレンジ色の表現が難しい!
以前、オレンジ色の“のうぜんかずら”を描いて色を出すのに苦労したことがあるのですが、鬼灯の表現で再挑戦です。
当然のことですが、焼き物に描く色(下絵の具)は焼きあがった後の色彩を想定して描くことになります。一生懸命下絵を描いても焼いて窯から出したら想定外、なんてことはよくあるのですが。さて、どうなるか。(2017.9.13)
神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)