加賀・山中温泉に泊まり、やきもの小旅行をした。(2012.4.20-22)
羽田空港を夕方6時発の便に乗ってひとっ飛び、北陸の玄関口小松空港に7時に到着、空港でレンタカーを借りて山中温泉まで約30分、夜8時には北陸の名湯といわれる山中温泉の露天風呂に入っておられる。便利な世の中です。
翌、土曜日は天気が心配されたのだが幸い薄曇り。北陸自動車道経由で石川県から福井県に入り、まずは越前陶芸村へ。
↑山中温泉ホテルの窓から
越前焼とは
陶芸を始めたころ、最初に使った粘土は越前の土だった。長野県信州新町の神王窯で越前焼の流れをくむ焼締め陶の製作活動を続けている塙幸次郎さんから分けていただいた粘土だった。以来、十年くらいは越前焼協同組合に直接電話で粘土を注文していたのだが、私はこれまで越前焼の発祥の地を訪問したことはなかった。
越前焼は、福井県丹生郡越前町(旧宮崎村・旧織田町)で焼かれる陶磁器の総称である。釉薬を用いず高温で焼成するときに薪の灰が器の表面に流れるいわゆる自然釉の風合いで知られる。歴史は古く平安時代末期(1100〜1200年ころ)に始まったといわれているが、窯の構造や焼かれた壷、甕、すり鉢などの特徴から、初期の越前焼の生産は常滑からこの地まではるばるやって来た陶工の集団が行っていたとみられている。
壷や甕などは農業における米・豆類などの収穫物の保存用、あるいは水瓶として使われることが多かったようだ。
なお越前焼と名付けられたのは、第二次世界大戦後小山富士夫等によって日本六古窯(信楽・備前・丹波・瀬戸・常滑・越前)のひとつにあげられてから、とのこと。
榮山窯大久保さんの自然釉焼締陶→
越前陶芸村の桜祭り ↓桜が満開
北陸自動車道の鯖江インターを出て鯖江市内を通り越前陶芸村へ。途中車窓から見える家々は外壁に立派な柱を通して頑丈そうに造られている。更に屋根は灰黒色の陶器瓦で葺いてある。この辺りは越前瓦の有名な産地なのだ。そして冬の積雪による重さに耐えるため丈夫な家が立てられているのである。
越前陶芸村ではちょうど「しだれ桜祭り」が開催されていた。私の住んでいる神奈川県よりも桜の開花は少し遅いだろうと思い期待して行ったのだが、訪問した4月21日、予想通り満開だった。満開で散り始め、桜の木の下を歩いていると花びらが頭や肩に降り注いでくる。文字通り花吹雪という雰囲気を味わえた。
桜祭り会場にはテントが張られ陶芸家たちの展示ブースがいくつも並んでいる。
奈々司窯の佐藤裕司・奈美子さんご夫妻のブースに立ち寄った。主にご主人が成形し奥さんが絵付けを担当しているとのこと。奈美子さんは京都の大学で陶芸を習得し、京都東山で京焼の絵付けを学び、更に九谷焼の技術研修所を卒業という羨ましいような経歴を持つ。細い線を見事に描いている。やさしい雰囲気の醤油さしが気に入ってひとついただいた。
↑奈々司窯の佐藤さん夫妻と
陶芸村の境内にある福井県陶芸館のロビーに展示してある作品にユニークな形の香炉があった。細長の花瓶の胴に穴をあけ煙道と香を入れる穴をつくっただけの単純な作り。素朴で面白い。香炉というとどうしても澄ました上品な感じのものが多いが、自然で飾らない雰囲気が良い。私は今夏のアート展に向けて「香る陶」をテーマに香炉などを作っているので大いに参考になる。
↓酒器と地酒
同じ境内にある陶芸村文化交流会館では「響きあう酒器展」が開催されていた。越前焼現代作家による「酒器」を越前の風土で育まれた「地酒」と並べ、更に全国から募集した酒にまつわる川柳と共に展示紹介するという、越前ならではの面白いイベントで楽しく見て回った。私の好きな「黒龍」の展示もあった。ついつい陶芸作品よりも酒瓶に目が向いてしまう。
芝生の広場では弁当を広げて食べている家族連れもいる。食べ物の売店も出ている。のどかな桜日和である。
広い境内には、共同陶房、陶芸教室、登り窯、直売所、古い窯跡、食堂などなど、陶芸好きなら一日いても退屈しない場所である。夜には満開の桜がライトアップされチャリティーコンサートも開催されるとのこと。
永平寺参り ↓永平寺境内
永平寺は、福井県吉田郡永平寺町にある。鶴見にある總持寺と並んで曹洞宗の中心寺院(大本山)である。道元禅師が1244(寛元2)年、傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)をひらかれ、のちに吉祥山(きちじょうざん)永平寺と改められたのが始まりといわれている。
私の永平寺参拝は三度目になるが、前回は15年位前だったろうか。いつ訪ねても厳かな気持ちになる壮大な寺院である。私の先祖は代々曹洞宗永平寺派の末寺に眠っている。
↓永平寺境内
33万平方メートルにも及ぶという広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの 修行の中心となる「七堂伽藍」 など、70余棟の建物が、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれながら
静かにたたずんでいる。老杉や境内を流れるせせらぎにも禅の奥深さが感じられ、おのずと襟(えり)を正し凛とした気持ちになる。
開山以来約750年の伝統を誇る永平寺は、今もつねに200余名の修行僧(雲水)が道元によって定められた厳しい作法に従って日夜修行に励んでいるとのこと。ちなみに修行の中身(雲水の生活)は、坐禅・朝課(朝の読経)・行鉢(正式な作法に則り食事すること)・作務(掃除などの労働や作業)と盛りだくさんにあるようです。
建物の廊下でときどき修行僧に出会うがみな礼儀正しく気持ちが良い。
九谷焼窯跡を訪ねる ↓九谷焼窯跡で
九谷焼は、明暦初期(1655年頃)に大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市山中温泉のあたり)に良質の陶石が発見されたのを機に、当時の藩主が後藤才次郎という藩士を有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後に藩の殖産事業としたのがその始まりといわれている。窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあり、いわゆる「古九谷」発祥の地として知られている。現在その場所には後藤才次郎の石碑と窯跡を示す石柱が立っているだけということで、あいにくの小雨だったので訪問は断念した。
「古九谷」は、青、緑、黄などの濃色を多用した華麗な色使いと大胆で斬新な図柄が特色のやきものである。しかし、その後の研究でいわゆる古九谷といわれるものは有田から運ばれたもので、九谷で造られたものではないという説がでて、いわゆる“古九谷の謎”として関連学会で問題となったこともある。
私が訪れた九谷焼窯跡展示館は山中温泉のお隣り山代温泉にある。1826年(文政9年)にこの地の豪商豊田(吉田屋)伝右衛門によって九谷村から移築され再興された吉田屋窯跡である。この古窯はほとんど基礎の部分を残しているだけなのだが、古い煉瓦にこびりついた灰の溶けたあとを見て、1300℃以上の高温で数日かけて焼かれる九谷磁器の窯焼に思いをはせ、当時の窯焼職人たちの厳しい作業と心意気を偲んだ。
吉田屋窯跡に並んで昭和15年に作られ昭和40年ころまで実際に使われていたという窯がほとんど原型のまま保存されている。九谷焼としては現存する最古の窯とのこと。絵付けをする九谷焼は薪の灰で汚れないようにひとつひとつ“さや”に入れて焼かれる。そのさやが窯の横に高く積まれている。
現存する最古の九谷焼窯→
古窯に隣接して窯元の社屋や経営者の住居兼工房として使われてきた母屋がある。ろくろ場、絵付け場、展示コーナーなど。絵付けコーナーでは当代が黙々と作業をしていた。話しかけたかったが何となく近寄りがたい雰囲気があり遠くから筆運びを眺めるだけにした。
魯山人寓居跡 ↓魯山人寓居跡
「魯山人寓居跡いろは草庵」は当時福田大観と名乗っていた北大路魯山人(1883−1959)が、1915年(大正4年)の秋から約半年間生活した場所である。もともとは吉野家旅館の別荘で、主人の吉野治郎が魯山人に自らの別荘を提供し面倒を見たといわれている。木造瓦葺2階建ての母屋は、明治初期に建てられたとのこと。無駄を排した簡素な和風建築である。山代の旦那衆には、茶人や、書画・骨董などに造詣が深い風雅な人たちが多く、この別荘は当時の文化サロン的な場所として使われていたようだ。
↓庭を眺める
魯山人はこの場所では主に旅館や料亭の看板彫刻の仕事をしたり、絵や書を書いていたとのこと。陶芸に関しては同じころ陶芸家の須田菁華と知り合い絵付けなどを始めるようになってからその非凡な才能が開花していったようだ。
魯山人が刻字看板を彫った仕事部屋、書や絵を描いた書斎、山代の旦那衆達と語り合った囲炉裏の間、茶室・展示室(土蔵)などが公開されている。飾らない自然のままの風情あるたたずまい。庭を眺めながらお茶をいただき、魯山人の美意識を垣間見ることが出来たように思う。
なお、調べると魯山人が山代温泉に滞在していたのは、東京で星岡茶寮を開き、鎌倉に星岡窯を開く10年ほど前ということになる。
芭蕉堂で一句 ↓芭蕉堂
俳人松尾芭蕉(寛永21年・1644年〜元禄7年・1694年)は、「奥の細道」の旅の途中、山中温泉に滞在したことがあるとのことで、温泉街には「芭蕉の館」や「芭蕉堂」などが立てられている。
私は友人の三谷宣郷さんが「疾風屋同人」という俳句の会を主催している関係で、誘われて「陶風」と「陶艶命」いう俳号でときどき投稿(投句?)しているのだが、芭蕉に負けじと一句ひねるべく芭蕉堂をたずねた。
芭蕉堂は温泉町を流れる川沿いの目立たない場所に新緑に包まれてひっそりとたっていた。お堂の周りをしばらく散歩。お堂のすぐ傍らに落ち着いた雰囲気のセンスのよいコーヒー店が店を開いていたので、コーヒーをいただきながら一句。
さて、俳聖・芭蕉の句と比べてどうかしら?!
「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」 芭蕉
「風薫る 山中の湯の 芭蕉堂」 陶風
北陸は竹細工、木工、漆、染織などの手工芸の盛んな場所である。もともとこれらの工芸の原材料となる資源に恵まれていることもあるが、冬が長く雪や雨が多いこの地方ではどうしても屋外での作業が制約されるため、これらの室内手工芸が発達したともいえよう。
私は出来上がった作品を見るよりも製作現場を見ることが好きだ。製作現場を見て可能であれば作者と話をして、その技術や心意気を感じとりたいと思っている。これらの工芸品を訪ねる旅もしてみたい。また、次の機会に。
神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)