焼物のことを沖縄ではヤチムン(石垣島ではヤキゥムヌともいうようだ。)という。誘われて正月の寒さを避けて石垣島・竹富島の焼物(ヤチムン)を見てきた。(2013年1月4日-6日)
羽田から沖縄までジェット機で3時間弱、那覇空港で乗り換えて約45分、石垣空港に到着。地図で見ると石垣島は昨年末に出かけた台湾のすぐ横にある。いま話題の尖閣列島も近い。台湾との距離は概ね270 km しか離れておらず、地理的には日本のほとんどの地域よりも台湾に近い場所である。海を隔ててすぐ近くで異なった言葉を話す他の民族が生活していると思うと不思議であり、地球の狭さを感じる。
石垣島は、沖縄県石垣市に属し、面積は約 222.6 km² と沖縄県内では沖縄本島、西表島に次いで3番目に広い島。人口は約4万8千人強。八重山諸島の政治・経済・教育・交通などの中心地で、県庁所在地である那覇市との距離は南西に 410 km 以上離れており、その距離は東京から岐阜間に相当する。(石垣からは台湾より那覇のほうが遠いのだ。)石垣市のホームページによれば島内には22の陶芸窯元があるとのこと。さっそく車を借りて窯めぐり。
沖縄の海を映す「石垣焼」
土地柄、シーサーや民芸品的な焼物が多い中で、異彩を放っているのが「石垣焼」である。その代表作は油滴天目の黒地に石垣の海と空を思わせるブルーグリーンのガラス質が溶け込んだ陶器、すなわち陶とガラスのコラボ作品である。
現当主の金子晴彦さんは石垣焼窯元としては初代の金子喜八郎さんの後を継いでいる二代目、昨年1月7日の朝日新聞「ひと」欄に紹介されて以来、機会があったら会いたいなと思っていた人である。
突然の訪問にもかかわらず私たちを丁寧に案内してくださり、石垣島で採取された陶石や主な作品の解説をしていただいた。伝統的な木の葉天目の再現や、光を当てるとトラの毛のような数百本の茶色の線が伸びるように光彩を放つ窯変結晶(*玳皮天目)などにも挑戦されている勉強家である。(*玳皮とは、たいまいの甲羅、すなわち鼈甲のこと。中国江西省吉州窯で宋代~元代にかけて焼かれた天目茶碗のこと。)
昨年はパリで開催されたインテリアの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展されている。また、沖縄で開催されたミスインターナショナル世界大会の副賞としてブルーペンダントが採用されるなど、国際的にも活躍し注目を集めつつある石垣焼である。
朝日新聞の取材記事でも次のように語っておられる。「夢は二つ。石垣焼と島の名を世界に知ってもらう。そうすれば島に新たな産業を呼べるかもしれない。二つ目は器を手にした人の食卓が笑顔に包まれること。石垣焼に浮かぶ青は沖縄の海の色。この美しい海で二度と悲しいことがないように。」
「貴クラフ陶」でちょっとコーヒー
ドライブの途中、ちょっとコーヒータイムということで立ち寄ったのが安田貴子さんの「貴クラフ陶」である。コーヒーや軽食・甘味をいただきながら安田さんの作品を鑑賞できる楽しいカフェ&ギャラリーである。
カフェ&ギャラリーは石垣島を海沿いに南北に走る街道沿いにあり、窓からは近くにサトウキビ畑や牧場など、遠くに広大な太平洋が眺められる。こんな場所に移り住んで陶芸をして自然の中で健康的な生活ができたらどんなに素晴らしいだろうかと思う。思い切って引っ越そうか?などと冗談(?)言いながらコーヒーを飲む。
安田さんの陶歴を見ると、宮古島生まれの石垣島育ち。九州造形短期大学を卒業し沖縄で修行ののち現在地で独立。この間にいくつかの公募展で受賞した表彰状が壁に飾ってある。
クリーム色の地肌に青い染付をした湯飲み茶わんが気に入って一揃い記念にいただいた。
「太朗窯」を訪ねる
堀井太朗さんの「やちむん屋太朗窯」は石垣島の最北端、平久保崎灯台のすぐ近くにある。昨年の9月に現在の場所に移転したばかりとのこと。裏庭の小屋に新しく築いた窯を案内していただいた。水簸中の粘土もある。焼き損じた作品が小屋の外に積まれている。鶏が数羽のどかな庭で餌を探している。
窯は倒炎式単窯、つまり燃焼室(薪を燃やす部屋が左右にある)と焼成室(作品を置く部屋)がひとつという比較的小さな窯である。窯焼き中に台風が来て温度が上がらずそのうち薪が足りなくなって苦労したことなどを飾らず気さくに話してくださる。
作品はシーサー・壺・花器・酒器・食器・抱瓶(だちびん・この地方独特の携帯用の酒瓶)などなど伝統的なものが多い。
今や、便利な燃焼効率の良い電気窯・ガス窯・灯油窯などがあり、粘土も業者に注文すればいくらでも入る時代である。堀井さんは自分で石垣の土から粘土を作り、自分で築いた窯で薪を焚いて作品を焼いている。陶芸の原点を追及している方である。次回の窯焼きが成功するよう願いながら太朗窯を後にした。
「米子焼工房」のシーサー
この地方の人々の暮らしと共に身近に親しまれてきたシーサーはあらゆる災害に睨みを利かせ撃退する幸せの守り神である。しかし「米子焼工房」のシーサーはカラフルで楽しい雰囲気のものばかり。笑っているシーサーもある。踊っているシーサーもある。睨みを利かせる恐いシーサーから楽しいシーサーへ、この工房では逆転の発想で若い旅行客たちのお土産品として人気を得ているようだ。
私の母の名前「米子」と同じ名前の焼物。老人ホームに入っている母の元気を願って明るく元気が出そうなシーサーを土産に買った。
暖かい。正月だというのに蝶が飛んでいるし、道端には朝顔の花が咲いている。
マリンブルーの美しい海
窯めぐりを終えてホテルに向かう途中に玉取崎展望台に立ち寄る。展望台は街道沿いの小高い丘の上。この日は朝から小雨模様だったのだが展望台に上ったころには陽がさしてきて海がマリンブルー・エメラルドグリーンに輝き始めた。好きな陶を見物し美しい海を眺める、至福の時である。
竹富島の陶
竹富島は本来の沖縄らしさをいま一番残している島だという。
石垣島から南西5.5kmの海上に浮かぶ小さな島で、石垣港からは高速船でわずか10分。前日の石垣島は曇りときどき雨というような天気だったが、竹富島では晴れときどき薄曇りで絶好の散策日和。
赤瓦屋根の上のシーサー(魔除け獅子)と青い空、石を積み上げた塀、ところどころに珊瑚の石もある、道端に無造作に置かれている古い壷、焼締め陶の水盤に浮かべられた南国の花々、観光客を乗せてゆっくりと歩く水牛車、遠くの海と白い波、どれをとっても素晴らしい被写体、竹富島は街並み全体が美術品である。民宿の入り口で素晴らしい迫力のシーサーが睨みを利かせている。
古い家並みの中を歩いていると時間がゆっくり流れていると身をもって感じることができる。50年も100年もタイムスリップして子供のころに育った田舎の村に戻ったような懐かしい気持ちにもなる。
日本最南端の寺という浄土真宗本願寺派喜宝院には民具・焼物・染織などを展示してある蒐集館が併設されている。寺の境内や周りの道沿いには長年使われてきた壷などが無造作に自然の中に溶け込んだように置かれている。
竹富島には焼物を焼く窯はないようだ。島内の古い焼き物などは沖縄本島や石垣から運ばれてきたものだろう。
一方、織物が盛んで、外村吉之助、柳宗悦、バーナード・リーチ、浜田庄司、芹沢銈介などの民藝運動家がこぞって絶賛したことから、「民藝の島」とも称されているとのこと。
島人たちは先人たちの伝統文化の保存継承に力を注いでいて、この家並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)