8月9日、朝2時半に起きて3時に点火、窯焼きを開始しました。竹林の中に現在の窯を設置して以来、111回目の本焼きです。本焼きは大体月に一回のペースで、日を決めてから数日かけて窯詰めをしておきます。あいにくとこの日は、各地で今年一番の猛暑!というニュースが出たほどの暑い日でした。
一時間に100℃くらいのペースで徐々に窯の温度を上げて900℃くらいまでは気楽なのですが、900℃を超えてくると狭い窯小屋の中はサウナに入ったような状態になります。空気の量と燃料の量を調節し、窯の左右にあるバーナーから出る炎と、煙の状態を見ながら更に温度を上げてゆきます。
酸化焼き・還元焼き・弱還元焼き・・・等の“焼き加減”はその日の窯の中に何が入っているか、釉薬はどんなものか、によって決めます。また、窯の中の場所によって下のほうは比較的酸化気味、上部は比較的還元気味になるので、窯詰め作業のときにひとつひとつ作品の粘土や釉薬の種類を確認しながら場所を決め棚板の上に置いてゆきます。今回は弱還元焼き。私のトルコ釉コーヒーカップなどは窯の下部に、生徒さんの半磁器土染付などは窯の上部に並べてあります。
午前中、比較的温度が低い段階ではほぼ一時間に一度温度調節をすればよいので、窯焼きの合間に庭の梅の木の選定作業をしました。炎天下での庭木の剪定と窯焼き、すでに全身汗でびっしょり。好きな道とはいえ重労働です。
夜、7時、早朝に火を点けてから16時間、1000℃を越えてから8時間、窯の温度は上1250℃、下1230℃になっていましたので、そのままで約30分煉らして、7時半にバーナーの火を少し絞って更に1時間、8時半に窯の火を止めました。目標温度に達してからすぐに火を止めないで、徐々に炎を小さくしながら温度を下げてゆく段階が焼き上がりに微妙な変化をもたらしてくれるような気がします。
二日後、窯内の温度が70℃以下になってから窯の扉を開けます。さて、どうなっているか。楽しみです。
付記:暑い一日が終わってぐったりと寝て起きた翌朝、うれしいニュースがありました。日本経済新聞の朝刊によれば、福島県二本松市に大堀相馬焼の窯元が利用できる共同施設ができることになったとのこと。3月11日の大震災と福島原発の事故により壊滅的な被害を受けていた大堀相馬焼には私も特別な関心がありました。(当HP「旅の記録―笠間陶炎祭―」2011年5月参照)大堀相馬焼の陶芸家の方々は、あの忌まわしい日から、土地を奪われ、粘土を奪われ、本当に心身ともに大変なご苦労を続けておられるわけです。
現在、大堀相馬焼協同組合の理事長を務める半谷秀辰さんは、“ちりぢりになった多くの窯元を呼び寄せて、チームワークを回復させたい”とのこと。
場所こそ変われ二本松の新しい共同作業場で力を取り戻してほしいと心から願っています。 (2011.8.19)
剪定の終わった梅の木→
玉村豊男さんの随筆集をときどき読みます。玉村さんは画家であると同時に随筆家、料理研究家、農園主・・・いろいろな肩書きを持つ多才な方です。玉村さんのエッセイや絵を見ていると、陶に草木花などの絵を描き焼き付ける私にとっては大いにヒントをもらえて参考になります。
玉村さんのワイナリーとレストランは長野県東御(とうみ)市の高台、上信越自動車道「東部湯の丸インター」から車で15分程度、浅間高原の麓にあります。何度か訪問しているのですが、美ヶ原・霧が峰・蓼科山方面を眺められる絶景のレストランで、この土地で自ら栽培して実ったブドウで造られたワインをいただいて至福のときを過ごせます。
“朝日とともに目覚め、絵を描き、原稿を書き、昼寝をしてから、畑を耕し、ワインを飲みながら夕げの支度。暇はなくても快適、農園暮らしの日々。”
羨ましい玉村さんの毎日です。
玉村さんの絵はワイナリーの身近にある草花や、ぶどう、ナス、ピーマン、ズッキーニなどの果物や野菜、そして魚などの食材で楽しいものばかりです。
真っ白な磁器に焼き付けてあるので料理も美味しそうに感じます。いわゆる磁器絵(色絵)のように派手でもなく、どれをとっても食べ物を引き立ててくれるような表現になっています。わが家ではときどき上等のカレーライスを作ったときに玉村さんのお皿に盛って食べます。
玉村さんの絵皿に比べて私の絵皿は、白い素地(磁器土)を使わないで赤土を三分の一ほど含んだ粘土を使っています。
成形し素焼きしたのち下絵具で草木花を描き、更に釉薬は薄目にかけて還元焼きするので、かなり“土味のする・錆びた感じ”の焼き上がりになります。
従って、私の作品はフレンチやイタリアンなどの気取った洋食には似合わないなと思っています。一方、和食の煮物を入れたり、和菓子や果物を盛ったりすると、素朴で飾らない自然な雰囲気が似合い自分でも気に入っています。
自然の風情を焼き物に写し取り、日常使いの器にすることが私の基本的な作陶テーマです。 (2011.8.10)
玉村さんの絵皿→
上野の国立西洋美術館で開催されている古代ギリシャ展を観てきました。
ブロンズや大理石の彫像など素晴らしいものがありましたが、私はやはり古代ギリシャの陶器に興味がありました。
展示されている多くの陶壺が作られた時代は紀元前520年ころということですから、今から2500年以上も前のものですが、堂々とした造形美とその表面に描かれたデザインはすばらしいものです。ギリシャ神話の神々、ヘラクレスに代表されるギリシャ戦士たち、古代オリンピックの選手たち、当時の人々の生活など、人物を扱っている絵が多く描かれています。
陶磁器の製作方法や技術は、釉薬や顔料の発明・発見により2500年の間に大きく変遷しているのですが、人間の美に関する感覚や表現力は今と比較してもあまり変わりないな・・・、というのが第一印象です。
このころの陶器のデザインの表現方法としては「黒像式」と「赤像式」とがあったようです。黒像式は焼かない前の陶器の表面に鉄分などをたっぷりと含んだ黒い液状粘土(スリップ)を使って、人物や装飾をシルエットのように塗りつぶし、更に人物や装飾部分を針のような先の尖った道具で削り描くというものです。焼きあがるとオレンジ色(赤)の地に黒のシルエットのような絵が現れることになります。アテネ付近の粘土層は酸化鉄と酸化カルシウムを豊富に含んで、焼くと赤みがかったオレンジ色になるという特性があったようです。
一方、赤像式は黒像式の色彩を反転したようなもので、人物の外側を黒く塗りつぶし、内側を黒い線で描くという技法です。色調としてはどちらも黒とオレンジのツートーンで描かれることになります。
美術館の展示では当時の窯焼き方法などについてあまり詳しく解説されていないので、家に帰ってから他の書物で調べてみました。このころの窯焼きは現代の多くの陶芸家が行っているように素焼き・本焼きと二度焼きするのではなく、一回の焼成だけで焼成温度も約950℃くらいで比較的低火度だったようです。
一回の焼成で、酸化焼き(空気を十分に送り込んで全体がオレンジ色になる)をしてから還元焼き(空気を絞って不完全燃焼させ全体を黒くする)をして、更に最後に酸化焼き(黒い土の部分だけ黒く残る)で窯の中に空気を十分に送り込み調節することにより、同じ土で黒い部分とオレンジ色の部分を表現していたようです。
ちなみに、絵を描く陶画家と壷を作る陶工とはこのころすでに別の人で分業ができていたようです。
(美術館の中ではカメラが使えないので、このページで壺の写真を掲載できないのが残念です。(2011.8.2)
私の家から自転車で5分も走ると藤沢市と横浜市の市境を流れる境川です。川沿いにサイクリング(散歩・ランニング)道路が続いています。のんびりと南に走ると、一時間ほどで片瀬・江の島海岸につきます。途中には美味しいアイスクリームを食べさせる飯田牧場や、時宗総本山遊行寺などがあります。
私は草木花の絵を陶の表面に焼き付けることが多いので、ときどきスケッチブックを自転車に乗せてネタ探しの写生に出かけます。
台風が過ぎて涼しくなった土曜日、久しぶりに飯田牧場まで走ってきました。川沿いの道は、歩く人、走る人、自転車の人で結構賑わっています。
道の両側にはまだ田んぼや畑が残っています。あぜ道に咲いているヒルガオや月見草を描いたり、民家の垣根にあるむくげの花を描いたり・・・、楽しいサイクリングです。
「写生」とは文字どおり「生きているものを写す」、ということで、当たり前のことですが絵を描く基本と思っています。
良い絵には必ず何か“いいもの”があり、その“いいもの”とは生の被写体から画家が感じ取ったものを表現したものであると思います。
目の前にある現物を自分の目で見て自分の感じたままに写し取るほうが、他の人が描いたものを写したり(模写)、写真を手本に描くよりも、納得がいく表現ができます。
写真を撮ってそれを元に描くほうが簡単に思えますが、実際には写真を見ながらでは肝心の線が描きにくくなります。特に私の場合は素焼きした素地に筆で線を描いたり、半乾きの段階で尖った竹ひごの先で粘土に線を入れたりするので、線を生かすかどうかが大切になります。線を生かすためにまずはスケッチブックで練習しておくということでしょうか。
そんなわけで、いつも身近なところにスケッチブックやメモ用紙を用意しています。
魯山人も写生の大切さを次のように書いています。
“どんな芸術にしてもそうだがどこまでその人が自然を愛しているか、自然を掴んでいるかということが素材をなして行くのだから、写生がまず第一番に大切だね。写生によって自然に対する細心な注意を養って行き、また心に印象を刻んでいくのだ。”(「魯山人陶説」中公文庫より)
(2011.7.31)
境川風景→
友人のAさんは陶芸を習っていたのですが・・・・このところ休みがち。
東京に住んでいるので藤沢市の田舎にある私の陶房まで通うのは大変なの
でしょう。自分で立ち上げた会社の社長をしているので仕事も忙しいのだと思いますが、都内にも陶芸教室はいくつもあるので続けてほしいと思っています。
Aさんにはもうひとつ習い事があってそれは篠笛です。どうやら篠笛のほうは続けて習っているようです。篠笛の先生は美人だから楽しい、と言っていました。
Aさんの“夢”は、自分の葬式会場であらかじめ録音しておいた自ら奏でる篠笛の音を流して、自分が作った骨壷に自分の骨を収めて永遠に眠る、というものです。
Aさんは私より半回りほど若いので急ぐことはないのですが、生前に骨壷を用意しておくと長生きする、という伝えもありますので、そろそろまじめに取り組んで欲しいと思っています。
骨壷を生前に用意するという習慣は昔からあったようですが、一般に知れ渡ったのは作家の水上勉(1919年〜2004年)さんが、生前自分で骨壷を作って個展を開いたり、関連の本「骨壷の話」(集英社)を書いたりしてからではないでしょうか。水上さんは福井県の出身なのでたぶん越前の土を使われたのだと思いますが、まだ陶芸作品を見たことがありません。
私も半分冗談で、“生前派手だった人は地味な骨壷に、地味だった人は派手な骨壷に眠るといいですよ”、なんて言っているのですが、残念ながら未だに誰もマイ骨壷を完成させた人はいません。
インターネットなどでも骨壷の販売をしており、その人の好みに合わせて色や絵柄など各種取り揃えてあるようですが、多くの人たちは生前に“永久の住まい”を自分で選ぶこともしないで、ただ葬儀屋さんに任せているのが現実のようです。やはり自分で作った好みの焼き物を終の棲家として、その中で安らかに眠る・・・というのは最高だと思います。
私も長生きしたいのでそろそろ自分の骨壷の製作に取り掛かろうかと思っています。そして元気なうちは骨の代わりに美しい花でも生けておこうと思っています。(2011.7.31)
大船フラワーセンターの蓮→
神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)