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MEMORANDUM-陶房雑記帳2012年10月

■こつこつと丹念に

日本伝統工芸展は日本の伝統的工芸品を創作する人たちの最高峰の発表会です。毎年、陶芸・染め織・漆・金工・硝子・竹細工等々、各分野で素晴らしい作品が発表されます。
 今年も九月下旬に日本橋三越で開催されていました。今年は見に行かなかったのですが、NHKの日曜美術館で受賞作品とその作家たちの製作風景や製作にあたっての考え方などを紹介していました。そしてある評論家が次のような話しをしていたのが印象的でした。
 “最近は何でも情報がそろっているので、簡単に手に入れようと思えばほとんど苦労なしに手に入れることができる。しかしそれでは自分の作品ということはできない。製作過程の最初の基本的なところから自分の目で見て確かめて、この手で触って確かめて、作り上げたものがはじめて自分の作品になる。したがって、こつこつと丹念に仕事を続けることが大切なのです。”
                         ↓陶を彫る景徳鎮の陶工
 今年の日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞した陶芸作品は、静岡県富士市で作陶活動を続けている室伏英治さんの練り込み作品でした。室伏さんは透光性(光を通す)のある白磁・彩磁の練り込み作品を中心に製作発表しています。今回の受賞も工夫を凝らした粘土作りから型作りと丹念な仕事の成果であるとおもいます。
 器用でせっかちで作るのが早い人、テンポが遅くこつこつとゆっくり作る人、いろいろなタイプの人がいます。“作る”ということには作者の性格が大きく影響します。従って作品にも作者の性格が出ます。私自身はせっかちのほうなので、なるべくこつこつと時間をかけて、と心がけているのですが、どうしても先をあせって早く作ってしまう癖があります。
 一般に良いものは時間をかけてじっくりと作られる、と思っています。伝統工芸展で受賞した作品はみな丹念に時間をかけて執念で製作されたものばかりという印象です。
 しっかりと時間をかけて丁寧に、こつこつと丹念に・・・。もう一度、自分に言い聞かせています。(2012.10.17)

■SIMPLE IS THE BEST

パソコンや保険会社の説明文書はなぜ難しいのでしょうか?
 天邪鬼(あまのじゃく)な私には、難しく表現することでお客を煙に巻いているのではないか、と思えてしまうのですが。
 政治経済や科学関連の講演を聴いていても、聞き手が理解しているかどうかお構いなく難しい表現を楽しんでいるような人がいます。日本語で表現すれば良いものをわざわざ英語で話す人もいます。英語で話すと何となく専門家という雰囲気になるのでしょうか。
 長い文章をだらだら書いて結局何を言いたいのかわからなくなってしまう人もいます。簡潔でしかも表現したいこと(情感)が全部含まれている文章は素晴らしいと思います。私は、親友の三谷宜郷さんに勧められてときどき俳句を作るのですが、俳句は17文字の中に言いたいこと(情感・風景)を盛り込まなければならないので、簡潔に表現する訓練になると思い駄句を続けています。
 今年度のノーベル医学生理学賞を京都大学の山中教授が受賞することになって、新聞に関係者の祝福の言葉が掲載されていたのですが、印象的だったのは“山中先生は難しいテーマをやさしく話すのが上手です”というコメントでした。この新聞報道を見て私は、やっぱりなあ、と思いました。
                         ↓景徳鎮の陶工たち
 難しいことを簡単に表現するということは、なかなか難しいことだからです。本当に優れた人は難しいことをやさしく表現できるのです。
 ロンドンオリンピックの男子体操で総合優勝し、金メダルに輝いた内村航平選手は難しい技を簡単にこなしていました。横綱白鳳の相撲はいつも単純な動きで簡単に勝つような気がします。景徳鎮の熟練した陶工は轆轤を簡単に扱って、あっという間に大きな壷をひねりだしていました。つまり一流のプロたちは最少の動きで最高の表現ができるように技を磨き上げているということです。
 昔、ある商品のコマーシャルで、“SIMPLE IS THE BEST”という言葉がはやったことがありました。簡単にわかりやすい表現こそ最高で美しい、ということであると思います。(2012.10.17)

■一流陶芸家の心

私は多くの陶芸家の個展を機会あるごとに見に行くようにしています。作品を目の前にして、作者が会場にいれば話しをして、その製作方法(成形や釉薬や焼き方など)やアイデアを情報交換することが勉強になるし楽しいからです。
 また必ずしもプロの作品でなくとも陶芸教室の発表会などを見てヒントを得る、というようなことも少なくありません。
 高校の同級生松井都紀子さんの友人の陶芸家、川崎毅・小池頌子夫妻の陶展「街の風景・白のかたち」のご案内をいただいたので、銀座和光のギャラリーを訪問しました。和光のギャラリーは昨年に井上萬二さんの作品展で訪問して以来です。(陶房雑記帳2011年6月「白磁ひとすじ」参照)

 案内状によれば川崎毅さん(1968年東京芸術大学大学院陶芸専攻修了)は、“東京郊外多摩のアトリエで作陶活動を続け、街をかたどった代表作「街シリーズ」をはじめ、静かな佇まいでありながら温かみのある建物や風景をモチーフにした作品を作り出す・・・”と紹介されています。白化粧を施し街の風景を表現した立体作品を見ていると、海を見下ろすギリシャの白い街並みや、昔旅したスペイントレドの街を思い出します。
 川崎さんのギャラリートークを聞いて、私はひとつの作品を作り出してゆくプロの心を感じ刺激を受けました。
                    ↓和光のショウウインドウで・川崎さんの作品
 川崎さんは、椿の花が散って、実が大きくなって、自然と殻が破れて実が落ちる、実が落ちた抜け殻は内側からの自然な力でできた造形である。自分自身内なる力を実らせてそんなものを創造したいのだ、というようなことを話しておられました。作陶に際しては設計図もデッサンもなく、ただ心の趣くままに粘土を重ねてゆく、ということでした。
 川崎さんの話は私にとって作陶のヒントにする、というようなものではなかったのです。よく心をこめて作ったものはすばらしい、といいますが、心の込め方がわからない。そのわからない心の込め方をちょっと教えていただいたようなギャラリートークだったわけです。
 私とは作風が全く異なりますが創作する姿勢が大いに刺激になった、川崎さんのギャラリートークでした。(2012.10.4)

神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)