このところひたすら古代オリエント土器を模造しています。(当ホームページ「陶房雑記帳」2013年9月参照)古代オリエント土器と呼ばれているものは、今でいう西アジア(トルコ・シリア・イラン・イラクなど)からエジプトにかけた地域で紀元前5000年ころから創られ始めているものをいうようです。
この時代に作られた陶器類は釉薬(うわぐすり)をかけない焼き締め陶(炻器)がほとんどです。しかし、ギリシャの古陶には鉄分などを多く含んだ液状粘土などで文様を描いたものがありますし、さらに12世紀~13世紀ころのペルシャ陶器になると青釉などを掛けたものが出てきます。
水差し風の土器はビールやワインを注ぐのに使われたのか、口元の小さな壺には穀物などを貯蔵していたのか?使われていたのは王宮か、庶民の家か?そもそも誰が土器類を作っていたのか?男どもは農耕や狩猟で忙しかっただろうから土器の製作は女性の役割だったかもしれない。などなど想像しながら製作するのは楽しいものです。
釉薬をかけずに作られた古代の陶器に現代の釉薬をかけて再現してみたい、この数年そんな思いで、模造活動をしています。
先人たちが残したすぐれた作品をモデルとしながら製作していると、結構自分なりにいろいろな表現方法を体感し新しいことを感じ取れるものです。
製作途中の水差し→
知人の画家Nさんはスペインに留学中には毎日のようにプラド美術館に通って模写していた、と言っていました。絵の世界では大きさ(号数)を変えれば堂々と模写することができるようです。
青磁を専門とする陶芸家Kさんは1000年前に中国で完成されたものに向かって日夜励んでいる、というエッセイを書いていました。北宋時代(960~1127)の後期に河南省の汝官窯で焼かれたという青磁の色(雨過天青)の再現に向かって努力しているということです。
書道教室を開催しているAさんは臨書という先人の名筆を真似る学習法で、西郷南洲(隆盛)や福沢諭吉など著名人の書をモデル(お手本)に教えているとのこと。
良いものを真似る、模写する、ということはまさに温故知新、古い技に倣い新しいものを生み出してゆくということで重要な修行の方法であると思います。
さしずめ私は古代オリエントの陶工たちが残した優品に向かって励んでいる、ということになります。「写し」の効用を感じている春です。(2014.4.13)
「農夫よ 畑に出よ」という言葉があります。若いころマーケティングの仕事をしていたときに良く聞いた言葉です。
この言葉の意味するところは、「現場に出て畑を耕しなさいよ、デスクワークだけではだめですよ。体を使って創作することを生業としているものが頭だけ使って評論家になってはだめですよ。」ということであると理解しています。
高倉陶房のホームページを立ち上げて三年余りを経過しましたが、ときどきホームページの原稿を書きながら、「畑に出なければいけないな」と思うことがあります。ホームページの原稿準備は好きなことの調べごとが多いので結構楽しいのですが、私にとっての畑は陶房と窯小屋です。机に座ってパソコンのキーボードばかり叩いてはいられません。
疲れて体調が悪かったり風邪気味だったりすると陶房に入るのが億劫なときがありますが、それでも思い切って現場に出ると心身ともに少しずつ現場向きになってゆきます。真冬の朝一番の粘土練りは指先の感覚がなくなるくらいキツイものですが、ストーブの火で凍りそうな手を温めながら作業を始めると次第に体調が良くなってくるものです。 30分も轆轤に向かって前かがみになっていると腰がガツガツになってくるのですが、外に出て大きく背伸びをして足腰の屈伸運動をして又轆轤の前に座ると気分が爽快になってきます。
“土をいじる”ということは太古の昔から人間が生活の重要な一部分としてきた作業ですから、やはり心地よいのでしょう。特に田舎育ちの私にとっては。
八ヶ岳の農場→
つまり、私にとって陶房での作業は健康の源なのです。
粘土練り、成形、削り、乾燥、素焼き、絵付け、釉掛け、本焼き、等々、やることはいくらもあります。自分の技量で出来ることと出来ないことがありますが、それぞれの作業段階で自分の技量に照らして創意工夫をする。そして少しずつ上達する。
最近はインターネットを活用することによって多くの情報を比較的容易に手に入れることができ、その情報を画面で読んだだけで“知っているつもり”になってしまう。
しかし、創作活動をする者はせめて現場に出て自分の体を使って情報を体感することが大切であると思っています。
時は春。いざ。(2014.3.28)
神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)