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MEMORANDUM-陶房雑記帳2016年10月

■憧れの景徳鎮

世界の磁都ともいわれる中国景徳鎮を私が初めて訪問してから今月でちょうど6年になります。(当ホームページ「旅の記録『景徳鎮の旅/2010年10月』」参照)
 2010年10月に、一人でわずか一週間の旅をしただけなのに、この間に出会った景徳鎮の人々や陶芸作品また陶芸にかかわる風物の数々から得た強烈な印象は、私にとって数年間も滞在したような錯覚になって、いまだに憧れの景徳鎮となっています。
 風呂桶のような大きな甕や人間の背丈ほどもある大壷を轆轤で難なく挽いている陶工たち。成型した磁器の大壷に文様を削り描いている人。繊細な色絵付けや染め付けをしている人たち。共同の窯場まで施釉を終えた作品を荷車で運ぶ人たち。音を立てて焼かれている六畳一間もあるような大窯。古典的な作品から現代的なものまで多様なギャラリーが並ぶ街角。裏町の喧騒。
 思い出すだけで懐かしさと憧れが入り混じった感慨がわいてきます。景徳鎮をうろうろ歩いて見聞きしたすべては私の大きな宝物になっています。
 そして私の“景徳鎮の師匠”である景徳鎮陶瓷学院の二十歩文雄教授に巡り会えたことは私の旅をより実り多いものにしてくれました。景徳鎮陶瓷学院は景徳鎮唯一の四年制陶磁器専門大学です。そして初めての旅を支え効率的なスケジュールを作ってくれたガイド・通訳の張さんには感謝・感謝。もちろん二十歩先生に会えたのも張さんのおかげです。
 6年前の旅が懐かしくなって二十歩先生にメールを差し上げたら早速返事をいただきました。先生は景徳鎮で教鞭を執られて8年を超えるとのことです。

                   通訳の張さんと

 今月18日から始まる恒例の国際陶磁博覧会行事の一環として中国・日本・韓国の陶芸家らによる国際陶芸展への製作出展、更には日本から訪問する陶磁器関係者との交流や現地陶芸家への日本語教育など、精力的に超多忙な毎日を過ごしている、とのこと。
 師匠からのメールは次のように結ばれていました。
 “また機会を作って来訪ください。景徳鎮の日々の変化は半端ではありません。ご友人と見聞ください。私がいる間に!再見!”。(2016.10.27)


■獺郷の「かわうそギャラリー」

「かわうそギャラリー」は藤沢市獺郷にある社会福祉法人 光友会が運営するギャラリーです。
 「かわうそギャラリー」で「湘南ブルー青色展」が開催されるということで、私もブルーのペルシャ風水差しや鉢などを数点出展することにしました。私のペルシャンブルーは空の青というよりも湘南の海の青に近いと思っています。
 陶芸品は私だけで、他の出展品目は藍染めなどの手工芸品が多いのですが、全体としては家庭的な楽しい雰囲気の発表会になっています。
 この社会福祉法人では、幅広い障害者福祉サービス活動を展開しているのですが、更に“地域の縁側に”というテーマで近隣の方々が気軽に立ち寄れるような場所を提供しいろいろな社会貢献活動をしています。
 藤沢市の北部、田畑や植木畑・果樹園などが広がるのどかな地域にあり、ギャラリーの窓からは黄色く実りかけた波打つ稲穂が眺められます。
 さて、獺郷(おそごう)という地名は、文字通り解釈すれば「獺(かわうそ)の郷」ということで、獺が棲んでいた場所、ということになります。私の生まれ育った故郷は、獺郷からも遠くない藤沢市葛原(当時の地名は、神奈川県高座郡御所見村葛原で、私が小学校6年生の時に藤沢市に合併し現在の地名になっています。)という田舎の部落なのですが、私は子供のころ近くを流れる川で獺(かわうそ)を見たことがあります。

                   目久尻川と道庵橋

 その川は獺郷からも葛原からも近いところを流れる目久尻川(めくじりがわ)で、目久尻川は寒川神社の近くで一級河川である相模川と合流し相模湾へと流れています。
 たぶん10歳前後のころだったと思いますが、私は目久尻川にかかる道庵橋(どうあんばし)という小さな橋の上から「獺」を見たことがあるのです。イタチを大きくしたようなその動物は水面を泳いで岸辺の草むらの中に隠れてゆきました。一瞬の出来事だったのですが、幻でもなく、私はその瞬間をいまだに鮮明に記憶しています。そしてその動物が絶滅した「にほんかわうそ」であるといまだに信じています。
 (付記)「にほんかわうそ」は北海道から九州まで広く生息していたが、2012年に環境省により正式に絶滅が宣言されている。(2016.10.9)



神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)