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MEMORANDUM-陶房雑記帳2016年3月

■離見の見・秘すれば花

芸事をする人は必読、とある人から勧められて「世阿弥の世界」(増田正造著・集英社新書)を読みました。(本当は世阿弥の原著「風姿花伝」読めば良いのでしょうが私には難しそうです。)
 能にはこれまで全く興味がなく、だいぶ昔に明治神宮の森で開催された薪能の招待券をいただき見物したことがあるのですが、そのときも観ていて退屈した記憶があるだけです。
 本の中には能の世界を切り開いた世阿弥(1363~1443年)という芸術家の考えさせられる言葉が随所にあります。著者は、“世阿弥が現代に生まれたならば、コピーライターで名を成したのではあるまいか。心を打つ言葉を創る、稀有の日本語使いであった”と言っています。
 ちょっと一読しただけで簡単に内容や意味するところを理解し評論できるようなものではないのですが、日頃の創作活動に関連して面白いと感じた言葉をふたつ、わたしなりの解釈で以下に記しておきます。

「離見の見」
 自分が製作した作品を、まずは自分で評価する(我見)。さらに離れて客観的な目で評価する(離見)。そしてさまざまな観客の目の位置に自分の心の目を置いてもう一度自分の作品を俯瞰する、ことが「離見の見」である。
 一般的には「我見」つまり自己満足で終わっていること、あるいは見る人のお世辞に満足していることが多い。作品発表会などで本当に耳の痛いことを言ってくれる人の声を離見することが大切である。見る人に本物の感動を与えるために。

「秘すれば花」
 自分が表現したい「花」は隠しておくことが大切である。見せたい・感じてもらいたいからこそ隠す。
 隠すことによって観る人それぞれの想像が働く。見る人の心の中で開いてこそ「花」なのである。
 作品を観てくれる誰かが、何らかの「花」を作品の中に感じてくれるようになればしめたものである。花は「美」をはじめとして観る人の心を動かすすべての事柄であろう。梅や桜は咲くべき時に咲くから人々は感動するのだ。(2016.3.27)

■窯小屋15年

現在の窯小屋は2001年12月に窯を新しくしたときに建てたので、今年でちょうど15年目に入ったことになります。竹林の中にありますので「竹林精舎」と名付けています。(陶房雑記帳・2011年1月『竹林精舎の陶板』参照)
 木工倶楽部「木の子」を主宰している友人の高木さんが設計し建ててくれました。安く値切った費用で依頼したにもかかわらず丁寧に作ってくれて、15年目の今もしっかりと雨風に耐え、窯を守ってくれています。
 六畳一間の広さしかないので本焼の時には小屋の中はサウナ風呂のような熱気になります。
 この窯小屋の中で2月末までに累計156回の本焼きをしています。最初から焼成記録(温度グラフ)をとっていますが、焼成に最も時間がかかったときは22時間、もっとも短かったのが15時間となっています。
 基本的には窯内の上の温度計が1260℃、下の温度計が1230℃くらいに到達するのを目標にしているのですが、どういうわけか7時間もの差が出てくるわけです。気温の高い夏のほうが簡単かと思うとそうでもない。湿気の多い梅雨時は時間がかかるかと思うとそうでもない。どうやら焼成時間に影響するのは気象条件だけではなさそうです。回数を重ねてもなかなかわからないことが多い窯焼きです。
 通常は夜中のAM2時か3時に点火してその日の夜PM8時ころまで。
 また、目標温度に達してもすぐに火を止めないで、とろとろと炎を小さくしながら温度を下げてゆくと面白い変化が出ることがあります。
 還元焼成の場合は900℃を超えるころから空気の量を絞ってゆくので煙突から黒い煙が流れ出てくるのですが、竹林が煙を目立たなくしてくれています。煙が近所迷惑にならないようにちょっと気を使う今日この頃です。
 近くの農家では伐採した庭木を燃していたら消防署に通報されて消防車が来てしまった、という話も聞きました。
 窯焼は楽しいけれど緊張しながらの体力勝負です。(2016.3.12)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)