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MEMORANDUM-陶房雑記帳2016年4月

■想定外・・・春爛漫から花曇りへ

窯焼きをして目標温度に達してから火を止めて、窯内の温度が70℃くらいに下がった段階で窯出しします。
 期待をこめたわくわくした気持ちで窯の扉を開くのですが、窯から出した瞬間には予想していた焼き上がり雰囲気と異なりがっかりする、ということがよくあります。しかし、一瞬はがっかりするのですがしばらくしてゆっくりと作品を眺めると、想定外ではあるが結構面白いじゃないか!ということもしばしばあります。
 本来、想定内の仕上がりにするのがプロの技なのでしょうが・・・一方では、想定外の予期しない歓びがあることも陶芸の魅力なのです。
 今年の正月休みに桜の花を素焼き鉢いっぱいに描き、華やかな焼上がりを想定して、うまくできたら「春爛漫」という題を付けて発表しようと思っていました。(陶房雑記帳・2016年1月『創り初め』参照)
 計画通り3月度の窯で焼いたのですが、窯から出してみると想定していた華やかさはどこにもない。一見、直径40cm強の鉢は全体的に暗い雰囲気。透明釉を掛けた部分はグレーの沈んだトーンで花びらもピンク色に発色していない。
 春爛漫の雰囲気が全くないので窯から出してしばらくがっかりしていたのですが、お茶をたしなんでいる女房どのが作品を観て、月並みで華やかな桜の花よりも落ち着いた渋い桜で良いではないの!なんて言ってくれたのです。
 ふだん辛口の女房にしては珍しく元気が出るような言葉。
 お茶席などでは華やか雰囲気よりも侘び寂びの雰囲気の方が好まれるわけです。ちょっと納得して自作の鉢を眺めていると、“確かに深みがあっていいな”なんて私の方もその気になってくる。
 結局、「春爛漫」とはいえないけれど、「花曇り」というタイトルにしたらピッタリでは!ということで6月に予定されているアート展に出展することにしました。(2016.4.24)


■花瓶と蝶

柿右衛門や今右衛門の色絵花瓶には、美しい草花や鳥が描かれています。柿右衛門(14代)の作品は柿色の赤を主としてやや派手に、今右衛門(13代)のものは吹墨技法などやや抑えた渋い色調で。もちろん中国景徳鎮の明・清時代の作品にも花や鳥の文様が華やかに描かれています。
 置物・装飾品としての花瓶ということであればこれらの磁器絵の作品は素晴らしいものなのですが、本来の用途である花を生ける瓶とした場合、当然、生けた花が花瓶と調和して活きなければならない。
 つまり花瓶は本来花を生ける瓶であり、花を生けて美しく見える花瓶が望ましいのですが、華やかに花が描かれている花瓶では「生けた花」が花瓶と喧嘩してしまうこともあるわけです。
 用の美。私は、花器でも食器・酒器でも本来の用途として役立ち、かつ作品としても見ごたえのあるものを作りたいと常々思っています。
 そこでふと考えたのが「花と蝶」。
 花には蝶が集まる。ならば花瓶に蝶を描けば自然な表現ができるかも?
 有田焼や中国の磁器絵文様にも蝶を描いたものはあまり見かけません。一般に、花鳥風月という言葉にもあるように陶磁器に花や鳥を描くことは多いのですが蝶はほとんど見かけない。手元にある中国陶磁器画集を開いても、花・鳥以外には、魚や鹿などの動物が散見されるだけ。なぜ蝶の絵柄は少ないのだろう?
 というようなことをあれこれ思いながら花瓶に蝶の絵を描いています。描く蝶は「アオスジアゲハ」。東南アジアに広く分布しているという揚羽蝶の一種で日本では関東以南の比較的温暖な地方に生息している蝶です。
 蝶にも華やかな蝶もありますが、黒い羽根に青緑色の(トルコブルー調の)筋が入っているアオスジアゲハが、私の作風に合いそうな蝶なのです。
 本当は生きた蝶を捕えてきて写生したいのですが、なかなか難しいので、インターネットや昆虫図鑑で文様を調べて画いています。
 花瓶に描いたアオスジアゲハが生けた花と調和して、花に集まる蝶のような雰囲気を出せればしめたものなのですが。(2016.4.10)


神奈川県藤沢市高倉815-2
(小田急線長後駅東口徒歩7分)