):レイモンド・チャンドラーの短編小説【イギリスの夏/高見浩氏訳】の設定を変えて編集した作品です。オリジナルな描写の部分もありますが、ほとんどが引用です。


鎌倉の夏

そこは千年以上もの歴史を持つ古い街だった。
少し歩けば寺にぶつかるという古都で、夏のあいだでも、京都や金沢に行く余裕のないような東京近郊に住む年配の人が休暇で訪れる、かと言って、上京したての女の子でも小旅行として、これといったプランもたてずに電車に乗り込み、都心から一時間ほどでその空気を味わうことのできる、都会の雑踏を十二分に忘れさせてくれるような、そういう街だった。

鎌倉は海があるから好き、と言う人も多い。
極寒の真冬、山から吹き降ろす乾いた風を襟元から感じ、凍える思いを覚悟でこの街を訪れるものがいるとしたら、恒例の初詣か、何かの写真を撮るために腰をかがめるカメラマンぐらいなものだろう。

しかし、今は夏だった。
そしてそこには、中山夫妻が一週間の予定で滞在しており、 私はその客として二日間だけお邪魔するつもりでいた。
私を招いてくれたのは中山氏自身だった。それに応じたのは、夫人と久々に逢いたいという気持ちが働いたのと、彼の招待が、ある種の当て付けにほかならないからであった。
私は人から当て付けられることが決して嫌いではない。

彼の狙いが、私と彼女の密通の現場を押えることにあったとは思えない。そんなことなど、彼は意に介していなかったはずだ。釣り道具の手入れに興じたり、車を洗ったりするのに忙しくて、それどころではなかったはずなのだ。
いずれにしろ、私たちのいずれに対しても、そういう敬意を払うつもりが彼にあったとは思えない。

どだい彼に、私たちの密通の現場が押えられたはずがない――あの夫婦と知り合ってからの九年間、私は彼女と一度も関係を持ったことなどないのだから。
それはもっぱら、私の浮世離れした、プラトニックな、素朴きわまるデリカシーのせいだった。
彼女が夫からいくつものジャブを繰り返され、いつ鐘の音が聞こえるとも知れない最終ラウンドを待ちわびながら堪えているとき、そういうカウンターパンチを浴びせ倒すのはあまりにも無神経なことのように、私には思えたのである。
私は間違っていたかもしれない。たぶん間違っていただろう。彼女は実に美しかった。

それは鎌倉駅から若宮大路を海に向かって10分ほど歩いたところで、古都の街の一部分であるにもかかわらず、二階建てのギリシャ風の小さなマンションだった――この場合、ビラといった方が正しいだろう――白塗りの外観にバルコニーの柵だけを鮮やかなスカイブルーに塗った爽やかなもので、10台ほど駐められるパーキングスペースの周囲を、南国に咲くような草花で彩られていた。
もっとも、このビラには10世帯しか入らない。

中山氏の持ち物は二階の角部屋で、一つのバスルームと、一つのキッチンと、一つのベッドルーム、一つのリビングを備え、それでも、売り出した当時で3000万円は下らなかっただろうと予想される。ただ、中山氏から「おやすみ、三上くん」と言われたあとには、私がリビングに置かれた簡易ベッドの上で、眠れない一夜を過ごすだろうことも予想された。

私が驚いたのは、リビングとさほど変わらない広さのバルコニーだった。
海が一望でき、雨風で色褪せたフローリングの床の上に真っ白なデッキチェアーが二つ、ブルーの柵の至るところには鉢植えが引っ掛けてあり、夏の草花がアクセントになっていた。

左右に広がる海岸線、白亜の建物、植物たちのグリーンやピンクと黄色のコントラスト、海から伝わる涼風。
それが戸外の眺めだった。その、すべてが私は気に入っていた。

気に入らないものは室内に一つだけあった。それは、リビングの一人用のソファーに置かれた、鳥かごの中の九官鳥である。
口ばしがオレンジ色で、目の後ろのところに黄色い模様があるものの、全体はカラスだった――あたかも頭のよい、人の言葉をしゃべるブランドものカラスが、かごの中から私の心の中を察しつつも、何かひとこと言わなければ済まないぞといった面持ちでこちらを見つめているのだった。

浴室が狭く、シャワーのお湯の出が悪いことは、私は気にならなかった。
十年にわたって新宿で暮らしていたときは、給湯器もないようなマンションや、小さなユニットバスの部屋を経験したことから、この程度のマンションで豪華サウナ付き温泉施設を求めることが馬鹿げていることを、承知していたからだ。
それに、慣れというものもある。
何度もツマミをひねって点火に成功し、湯槽のお湯が沸くのを待ち、それを利用してシャワー代わりにする。追い炊き機能のないユニットバスなものだから、真冬に何十分もかけてお湯張りに成功したものの、ぶるぶる震えながら首までつかる入浴――これは無論、都心での学生向けのマンションのことで、ずいぶんと昔の話だが、今でもそういうアパートは存在するのだ。

それはまあいい。が、やはり我慢できなかったのは、あの九官鳥だった。
まず第一に、そいつはまったく抜け目がない。ミセス中山のさりげなくドリンクを置いた指先に見とれ、彼女が去っていたあとの残り香に酔いしれている私をじっと窺っている。私がその視線に気づいて眼でも合わそうものなら、強烈な口ばしでかごをガリガリと噛り、私に敵意をむき出しにする。しかも、まったくかわいげのない鳥で、私が近づくとプイと横を向き、しまいには尻を見せる始末。なんでもそいつはオスらしく、主である中山氏にはかろうじて尻尾を振るものの、基本的に男嫌いだという。おきまりのように、女にはわけもなく甘える"色鳥"なのだろう。

それともう一つ――九官鳥が言葉をしゃべる鳥だということを話しておかなければならない。
それは、私が夫人から「出前をとるけど、お昼は何にします?」と訊かれたときのことだった。
そのとき、中山氏は三浦の朝市で鮑を買って来るんだと朝早くから出かけ、11時になっても戻らなかった。
「中山氏は?」と私は訊き返した。彼女は「彼は何でも食べるのよ。三上くんの好きなものにして」。
私は「あなたより好きなものはない。だから、僕もなんでもいいよ」と答えた。
そのときの空気といったら、もう数時間後に伊勢湾台風でもやって来そうな、葬儀のあとの親族の会で、料理を目の前にした遺族が「どうぞみなさん、お召し上がりください」と涙ぐんで言っているときと同じぐらいに重かった。
夫人がそのセリフを笑い飛ばさなかったことが、その最もたる要因であったわけだが、失言を悔やんでいる私の心をズタズタにしたもの――「ば〜か」といった、やつのひとことだった。

あの日の午後、私は水のシャワーを借りて、バスタオルを首にかけながら、リビングに戻って来た。
昼になっても中山氏は戻らなかった。電話があり、油壷の漁師の家にお邪魔しているのだという。

リビングは静まり返っていた。やつは、かごの中ですやすやとお昼寝中で「人の言葉をしゃべるんなら、いびきぐらいしろ」と言いたくなるほど静かだった。
私がそう言ったあとのことを想像すると、とても言いたくはなくなるわけだが。

リビングに誰もいないことから、私はバルコニーをのぞいてみた。ミセス中山がデッキチェアーに座っていた。何をするでもなく、ただ座っていた。
ここで彼女の容貌を描写する必要がありそうだが、私の場合はたぶん誇張してしまうだろう。

彼女はとても横浜的な女性だったと言ってよかろう。
ただ、横浜人形館のドールたちよりは表情が豊かで、ある種のアクションアニメのヒーローのような生き生きとした性格だった。
背は高い方だった――いや、かなり高くて、だから顔を小さく見せていて、何を着ても似合っていた。
そのうえ古風な顔立ちだったために、この鎌倉で和服を着流し、人力車の上ですました顔をして座っていても、なんら違和感はなかった。

髪の色は黒くはなかった。ほんのりと茶がかかっていて、ただし馬に見られる栗色とも違った。磨き上げたオニキスにゴールドを近づけたような、眩しすぎない輝きで、女学院の行きと帰りには送り迎えが出て、葉山と軽井沢で休養される以外は外出することなどない人が、キューティクルをいたわるためだけに作られたシャンプーとトリートメントしか使ったことがなく、CMで見られるようなものに興味でも示せば、真っ先にお手伝いがやって来て「お嬢さま、そんなものを使われては、髪が痛みます」と叱咤されるような、そんな髪だったのだ。

彼女の手もまた、優美さの極致だった。
煙草を吸っていたなら――間違っても吸わないが、ロングタイプの一本を指に挟んだまま、どこぞの煙草のCMに出演してもおかしくなかったし、首都高七号線から見える隅田川沿いの広告看板に載せられても、夜景が加味して映えて見えただろう。彼女の知的な指にはシルバーが似合った。でも、貴金属は極力身につけない彼女なので、宝石で飾られる美しさを感じていない。ティースプーンのシルバーを手にしたときに、私が感じたのだ。
それは、横浜の日ノ出町にある、薄暗く、小汚い不動産屋でのことだった。下を行き交う車の音が聞こえてくる、うるさくて狭っ苦しいオフィスだ。偉そうに腰掛けている所長というのも土色の顔をしていた。が、彼女のデスク周りだけは、そうではなかったのである。
待ち席にいる私に、彼女はコーヒーを運んできた。私がブラックで飲むことを彼女が知っていれば、そんなこともなかっただろう。

けれどもその日、私はただ彼女を眺めやって、バスタオルで頭を拭きながら話しかけたのだった。
「砂浜まで行って、足首まで海に浸かろうかって誘っても、無駄だろうね?」

彼女はかすかに笑っていた。その笑いは確実に私を拒んでいた。

「中山さんはまだ帰らないのかい?油壷で油を売っているわけか」

またしても、かすか笑み。今度は完全に馬鹿にしていた。

「あの人はいつもそうよ。伊豆に釣りに出かけると行ったっきり、一週間も帰って来なかったことがあるわ。釣りをしなくても、海には出かけるの。足首まで海に浸かっているだけでもいいんですって」

「そうだね」私は言った。「そして、クラゲに足を刺されるんだ」

「そのセリフはわたしが言いたかったわ。さあ、あなたも行ってらっしゃい。でも、3時のお茶の時間には遅れないで帰ってらして」

「さぞ楽しいだろうね」私は言った。「そうして何もしないでお茶の時間を待っているのは。海の見える素敵なバルコニーに座り、空ではカモメが鳴いている。かといって、彼らは九官鳥のように君に優しくない。そこで君はお茶の時間を待つ――宝くじの当選を待ちわびる人みたいにね」

彼女はフランス人形のようなブルーがかった瞳で私を見つめた。あれは疲れた目ではない。同じものを長く見すぎた目だった。

「宝くじ?それはいったい、どういうこと?」

「わからない」卒直に答えた。「ただ、気の利いたギャグのような気がしただけさ。じゃあ、行ってくる」

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